噂のヒンメル構文と葬送のフリーレンのオープニングソングluluの歌詞。

外国でコンビニ強盗を捕まえた人が葬送のフリーレンの大ファンの方で「ヒンメルだったらこうする」と思いながら行動した。という記事を読みまして、デジャブに似た親近感がわきました。

(念のために葬送のフリーレンについてご紹介すると、サンデー連載中の漫画で、アニメ化されており、ヒンメルは作中の勇者です。作品タイトルになっているフリーレンが度々「ヒンメルだったらこうする」というセリフをつぶやくのですが、それを作品のファンの間では「ヒンメル構文」と名付けられているそうです。)

フリーレンのように、「ヒンメルだったらこうする」と口走る口癖が国を超えて諸外国にも。というジャパニメーションの威力、人気のすごさを実感しつつ、わかりみがふかい。そう思いました。

たぶん、私だけではないと思う。
チョンミョンソク牧師だったら多分、こういうときこうするんじゃないか?と、学ばせてもらった!と思う人たちはきっとなんらか「先生だったらこうする」そうおもって生きているんじゃないかなと。

わたしも「チョンミョンソク先生だったらこうする」と公共施設使わせてもらったり、道を歩いているとき、山登しているとき等々ゴミ拾いをしていることがありまして、

それってあまりにも自然、ふつう過ぎるとおもっていましたが、ともすると「先生だったらこうする」と行動していく中でインタビューに答える日もくるのか?もしかしてそんなこと思ったのでした。(わたしのような小者でなく、大物なかたはあり得るかなと)

そして、オープニング曲のミセスグリーンアップルの「lulu」が本当に素敵な歌詞&曲です。
1番と2番で歌詞の主人公が成長していくのが自然と見えるところに心揺さぶられるのです。

1番で「世界がもし優しかったら」という歌詞が2番では「私が優しくなったなら」と自分の周りの世界が変わることよりも、自分がどうするか?自分が変化することが世界が変わることになるのだ。と、気づいて行動しようとし始める、その心の機微、対比が成長の過程と、その変化した一人が、世界を変えていくんだなとかんじられる壮大なメロディに感動に包まれるなかでわたしもそうだったなあと想うのです。

そう、わたしもチョンミョンソク牧師の教えてらっしゃるバイブルスタディを聞いて一つ一つ聖書の読み方を知って、自分の考えを整理して、いるものいらないものを分けていくなかで、自分の視点で周りをみると問題の答えは、周りにあるように思えてしまうけれども、本当はそのとき、その環境、状況で自分がどうするか?どういう考えで判断し、行動するか?で変わって来る。

自分が変われば、世界が変わる。というのを、小さな積み重ねで少しずつ気づいたときに、神様の考え、真理、歴史を知ることは、自分を新しく作ることになる。そう心震えたその瞬間を思い出すのです。

新緑に輝くこの時期にもぴったりな素敵なこの曲を聴きながら感謝と感動があふれます。

316と号泣。

316とは、総会長牧師チョンミョンソク牧師の誕生日です。
毎年思うのは神様への感謝にあふれてらっしゃる。ということです。

わたしは、チョンミョンソク牧師に直接会ってはいないけれども、
教えてもらったこと一つ一つが、私の人生というか、生活というか、心を救ってもらったことがまさに人生を救ってもらった。ということであり、つまりはそれが出会ったと、とらえている。

だから、チョンミョンソク牧師の誕生日は感謝と敬意を改めて覚える日です。

先生がなんで、みんなのためにグランドや散策路を整備したり、飲食の手配とかこまごま気を使われるのか、ずっと不思議というか「なんでそこまでするんだろう?」と理解が難しい気持ちがありましたが今年の3/8主日の説教で「仕え敬うことが信仰の基本です」そう教えてもらって、すべて納得。

「仕え、敬う生」を生きている。イエス様がそう生きたから、先生もそう実践しているということだったんだ。やっぱり。と、ようやく腑に落ちました。

真理の味、愛の味、それは行なった人しかわかりません。そうおっしゃるチョンミョンソク牧師に教えてもらって、仕えるって何ですか?どういうことですか?と尋ねながら過ごしてみた中で、「平安」味わったことがない穏やかさ温かさをほんのり感じました。

しかし実際、「仕え敬う」ことは、なかなか労力、エネルギーがいるものです。年を取る分省エネモードになるものだと、祖母を見ても、両親を見ても、自分自身を見ても思います。
でも、先生はずっと変わらない。むしろ、より次元を上げている。

先生がいる今の場所は過酷という言葉が浮かぶしかないです。
「あきらめるな」という一言を言うことさえ難しいはずです。

きょうの主日礼拝の祝祷で先生は一人ひとりの人生のために、世界のために、祈ってくださっていましたが、「あきらめないで」という一言が、先生の生きてこられた今までと、そして今もなお変わらないイエス様、神様への絶対的な愛と信仰、行なってこられたその精神を感じて涙があふれるしかなかったです。