自分だったらできないはずのことも、できる!ので面白く楽しい。

今週の主日の御言葉(説教内容)は「神様によりたのみはっきりと行ないなさい」でした。
これはより頼み甲斐がありすぎる!!と思いました。

くしくも、今週は第三寒波による雪の影響が各地にありましたが私も例外ではなく、実家から転居先に戻るのに、雪の中峠を越える必要がありました。

全知全能だとしても理知のと法則の神様ですから、私の責任として、本当に峠を越えても差し支えないか、積雪量や一時間当たりの降雪量、また事故の発生の有無など30分単位で調べたうえで、先住者のかたにも、今回このルートで戻る場合はチェーン必要ですか?必要ならばチェーンも装着していきますという体で、天にも地にも確認しつつ、向かいました。

結果、自分では絶対に開けないであろう扉を開いたような体験となりました。
峠のカーブで滑る滑るわーっとなったときに後悔が津波のように押し寄せてきましたが、滑る瞬間、瞬間、神様~っと助け呼び求めると、「滑っても前に進めればいいじゃないか。通行量がないルートを選んだのだから、対向車もこのようにいない。そして、後ろにもいない。だから、滑っても問題はない。」という考えが下りてきて「そっかー確かに!滑っても前に進めているし(さすが四駆!すばらしい。今まで二駆動だったので威力を痛感)なにより、玉突き事故とか、滑って対向車にぶつかるとか、そういう怖さはない!!感謝っ!!!」となり、意気揚々、感謝、感謝のなか滑るとしてもいかに怖くない滑りにするか、工夫と研究をする機会になりました。(タイヤ、ケチらずに最新モデルを買っておいて本当によかったです( ;∀;)買うように導いてくださったことも神様に感謝。)

現実のなかで、何が必要で何が不要か?と、冷静に見定めることは、感情が邪魔するとむずかしいものです。「怖い」とおもってしまうと、立ち止まりたくなってしまいます。
そういうときに、神様を呼び求めると、手を取って導いてくださったり、背中を押してくださる瞬間を体験できるので楽しくて面白くなるので信仰生活なしには生きられないというか、このように助けてもらって生かされ、生きてきたなぁと感謝と喜びにあふれつつ、今回の経験の応用できたらいいなぁとおもいました。

会いたい人がいるけれど、私は会いたい人になっているだろうか。

会ってよかったと思う人は、いつも自分になにか新しいパワーをくれる存在だとおもう。
それは、その人の行なったことが自分にはできないことだったり、学ぶことがあったりするからというのもあるけれども、大きな理由は年を重ねることがこんなに希望的なことなのかと思わせてくれるからだと思う。

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