主人公は、自閉症スペクトラム障害とADHDであると診断されている裁判官。
「自分は宇宙人で、地球の人々を観察するためにきた」と独り言がストーリーの始まりに名刺代わりにある。
フツウが分からないことによる苦痛を知っている味わって生きるゆえに
「わからないをわからないと、わからないがわかるようになりません。」と、いうポリシーのもと裁判に携わる。
大体の人は、なんとなく通例のごとく通り過ぎるようなところを「わからない」を、明確にして向き合っていく。そして、見えなかったものが見えてくることで、嘘がなくなる。
真実が見えてくる。
わからないということを見過ごさないというか、見過ごせない特性が、個性として生かされている。
ドラマだから。と、ひとくくりにしてしまうこともできるが、ドラマを通して現実に起きていることも知ることができるのがこの作品の味かもしれない。
裁判所は件数を上げないと、赤字になるから件数を上げることを大事にする。自分の上役ばかりを気にするヒラメ裁判官が多い。そういう現実があることも物語のなかで示唆され、あるべき公正な裁判をした裁判官がむしろ左遷のような処遇を受けるということ。これは、物語だけではないとレビューされてるのを見かけた。
最終回で伝えたかったことそれは、裁判では公平正義、真実があるべきだけれども、それは本当になされているのか?「不確か」な法廷なのが現実である。しかし、その現実を受け止めて、どうするか?どうしたいのか?それが、司法にかかわる一人ひとり、法律と権利を知る必要がある私たちにも問いかけられている気がした。
発達障害は特性であり個性。そう認められるようになりたい。そうなれるように生きたい。と、そう主人公が、劇中で告白するシーンがあるが、理解されにくかったり、誤解されたりすることによる辛さを抱えつつも、前を向いて自分はそれでも生きる。それでいい。そうありたい。という、言葉はあたたかく響く。
私は神様が一人ひとりに与えてくださった才能、素質、良いところを見つめてそれが生かされることが本当に世界を良くするだろうなとしみじみこのドラマをとおしておもった。
良いところはよりよく、足りないところは学んだり、互いに補いあえたらホント理想世界だなと。

