簡易裁判所に行って、法曹界のリアルを体感し、チョンミョンソク牧師の裁判を思い出した話。

この度、民事調停を申請することになり、甲府の地方裁判所のなかにある簡易裁判所民事受付に行って参りました。

まず申請受付の方から「調停は、和解を目指すことを目的としたものなのであるため、どんなに相手方が理不尽なことをしていても、主張が平行線のままになるということがあります。話が解決するということは、なかなかないです。期待しないでください。」と、釘を刺されました。

が、すでに公害紛争調停を1年しているので、「調停」のメリットとデメリットは身をもって経験済みで、味わい尽くしておりましたので「承知しております。ただ、こちらが確認したいこととしては、調停委員のなかに、調停の目的をよく知らずに調停員を務める方がいないことの方が重要なんですが、そのあたりはいかがでしょうか?」逆質問しました。

じつは私は、公害紛争調停委員の一人から、おカネ目当てで申し立てをしていると先入観で見られ、調停1回目から私の申し出は偽りである。と、断定する言動をされ、あまりのショックに、その日の夜、心因性ストレスから吐き気と頭が割れそうな激しい頭痛で文字通り、死にかけました。

精神的なストレスが原因であることが明白なので、救急車を呼んでもいいかわからず、神様を呼び求めながら、そしてこういう時もきっと感謝できることがあるはずと、激しい吐き気と頭痛と動悸を抑え込みながら夜を明かし、感謝できることが一つ見つかりました。

濡れ衣というか、勝手に犯罪者扱いされることがどれだけ辛いのか、わかってよかったです。本当に。
それが大きな悟りで感謝でした。

ちなみにその先入観が甚だしい方は、目に余る言動が多々あったため、文書や口頭で是正を求め発言を自粛されるようになり、公害紛争調停不成立の日まで、なんとか乗り越えましたが、心因性ストレスの恐ろしさを痛感したため、念のための確認したのです。(頭痛や吐き気が収まっても、膝が痛くて、二階から降りにくくなる不調も生じ驚きました。自律神経が乱れるとそういうことも起こると、自律神経について詳しい鍼灸師の話で納得)

民事調停受付職員の方は「そこまでの方はいないと思いますが、ただ【さまざまな考え方がいるのは確かです】そのため、想定にないことが起こることは否めません。その点を、よく承知していただく必要があります。」とのことでした。
 
そして、続けてはっきり強く言われたのが「どんなに、主張が正しくても法律的に主張が正しいとされても、そのように扱われない。そういうものであることも忘れないでください。」と、釘どころか、吸血鬼を退治するために使うような大きな杭をうちこむような重々しさと苦々しさをその方の表情と口調から感じました。

 民事調停をした場合のことなのか、民事訴訟(裁判)までを含めておっしゃっているのか、確認が必要ですが、以前読んだ元裁判官がかかれた本をいくつか読んだ内容や、再審無罪になった刑事裁判や、チョンミョンソク牧師の裁判を思うと、おそらく、裁判所で必ずしも公正、公平な判断、判決がされるわけではない。そういうことだろうなぁと、やっぱり。と思ったのでした。

法律通りじゃない。制度通りじゃない。そんな、あってはいけないことが普通に起きる。
そういう現実社会なんだってことを、受付の方は私が、絶望して絶命しないように前もって教えてくださっているのを感じました。

 そして、扇風機さえないその場所で、長袖を着させられて生活をしいられている
81歳のチョンミョンソク牧師が思い浮かびました。証拠がなく、先入観だけで判決される。そんなことがまかり通ったチョンミョンソク牧師の裁判、まっとうな弁護士の方は韓国司法の恥であると言わしめた判決、そういう「例外」というようなことが起こりうる現実を思い返しました。

この世の地獄と言われる、そのような場所にいるのに日本に大地震があれば信徒の安否を気にして、必要な支援を指示されるし、自分の親の面倒を、兄弟の面倒をみなさい。と、いつもおっしゃるし、その場所でも感謝と祈りの生活をされているチョンミョンソク牧師の姿を通して、私は絶望しないで済んでいます。
あり得ないくらい、善とか義をときつづけていらっしゃる存在に慰められています。

私が心身具合悪くなっても、実家で対応してきた原動力は、ただ、先生のおっしゃったことをやってみよう。それだけでした。

理不尽、不条理なことを世の中でも、父親からも言われても、先生のように祈ってみよう。
どうしたら赦せるのか。どうしたら、最善なのか教えてください。と、祈りつつ御言葉を繰り返し読み返しながら、こういうことなのか?違うのか?模索しながらの15年でした。

そんな風にやってきたから、私は血気も憤りもまだまだある自分がいかにダメな人だとしても、悔い改めることを繰り返す中で、なるほどこういうことかもしれない。と、少しずつ見えることがあり、それはまだ途中だからこそ、最後までだと思います。

そして、民事調停を申請するにあたり、驚愕をしたことがあります。
改めて再度、弁護士を探しておりますが、
山梨の弁護士は公害裁判をしたことがないから受けられません。と、いまのところ26人くらいから断られ続けています。(法テラス枠で相談しても、相談にたいしての回答はそれなりにしてくれても、上記のように断られる)それはすでに、労災案件で弁護士を探したときにも、同じ感触だったので、驚きはしないです。

衝撃的だったのは「うちは相続問題専門なので、裁判所にも言ったことがまだありません。そして民事調停は裁判官が必ずはいるとは限らず、司法書士とかなので意味ないです。」と弁護士資格がある方から言われたことです。

 しかし、事実は裁判所のHPにあるとおり「民事調停の調停委員の3名のうち1人は、必ず裁判官」です。(民事調停申請受付にて再度、確認もしました)
責任をともなう肩書きがあるのにも関わらず、思い込みや先入観のまま、無責任に人の人生を左右することをおっしゃると、いうことを改めて目の当たりにし、むしろ清々しくかんじました。

弁護士だけでなくて、残念ながら裁判官もそうだ。ということ完全に一致だとおもったのです。そう、暴露されている元裁判官の弁護士の方の言葉を、思い出したのです。
処理しなければならない案件が多いほど、先入観で処理をする裁判官の実態であると。
(韓国の訴訟は日本の何十倍という統計があるそうです。気になる方は調べてみてください。)

残念な事実を体験し、確認できた!という皮肉な現実ですが
こういうことは、全く不思議ではなく、自然なこと。
それがむしろ平常運行であることを、もっと広く知られたほうがよいとわたしは思います。

なぜならば、自殺率が高い山梨の自殺理由の一つはこれでは?と感じたからです。
また、拡大して日本全体や、世界においてもきっと似たようなことが起きているし、チョンミョンソク牧師は、自殺者が減ることを、無念な裁判がなくなることを今もなおそう祈っていらっしゃるのを、あらためてひしひし感じる。
猛暑日の今日です。

※念のため今までのいきさつをざっくりまとめると、
公害紛争調停をしはじめても、改善されないまま、健康被害が悪化するため私だけ去年9月から今年の4月まで山梨の寮付きの職場がある山村へと引っ越しをしていたのです。
が、生活用水だけでなく、飲み水も全部山の湧き水生活のため、冬場、凍結で家事もお風呂もままならないという、なかなかの山村生活でした。
 社長の奥さんは水道工事屋さんの日程がつかない。とおっしゃっていたのですが、社長のご子息は「工事はできません。(費用がかなりかかるため)」という支離滅裂のさなか、公害紛争調停は相手方の無対応が明確化したので公害調停委員から「平行線なので、取り下げをし、裁判を検討なさった方がいい」と、匙投げられたので、民事調停をするしかなく、また今までの相手方の姿勢、無対応な態度からすると、裁判を、本人訴訟でしなければならないかも~とりあえず、再度、実家に戻った。。。そんな流れです。

「銀河の一票」で改めて思った。

一言でいうと、政治について、選挙について、前向きに自分も関わりたいという気持ちが湧いてくるドラマだ。

幹事長の一人娘がスナックのママを都知事候補としてスカウトする。という設定がなかなかとがっているというか、面白いなとはおもったけれど、このドラマは単に面白いというよりは、大切なことを大切だなと認識できるような作りになっている。

とはいっても、説教臭いというか、道徳ドラマのようなものでもなく「生きるってなかなかしんどいこと、大変なことありますが、それでも生きるんですよね」と思ったことがある人にはかなり刺さるエピソードやセリフになんだか毎回泣いている。
胸が熱くなる。

政治家の心構えや視点を知れたり、都知事に立候補するにあたって必要な選挙費用は3千万円は軽く必要であるとか、政策、公約をアピールするためにも、都民からヒアリングをするのだとか、さまざま知らないことも知れたのもよかった。

チョンミョンソク牧師が最近も選挙に行きなさいとおっしゃっていたけれど、それぞれが祈りながら、自分で考えて投票しなさいと改めておっしゃっていたことや「政治家たちのために、代表のために祈ってあげなさい」という一言を思い出した。

よりよい政治、よりよい世界になるように。
そのためには、自分が考えて生きること。
そう改めて思った。