先日、一審判決が言い渡された。

被害者は洗脳されていたから、こういう事件が起きた。
という捉え方をされ、この結審をされたとのことだが
むしろ、その判決の決定打となった洗脳についての事実と証拠が述べられていないということは、
具体的に指摘出来るところが、まったくなかった。と公言されたと言えまいかと私は思った。

素人の私にそんな見立てをされる有様の裁判なので、呆れるというか、
職権乱用甚だしいことに悔しく、無念というか、恐ろしさぬぐえない。

私の母はキリスト教福音宣教会の信徒ではない。
それでも、この裁判の結果を伝えたときに「ありえない。ひどい。」と絶句していた。

なぜ、母はそのような反応なのかというと、キリスト教福音宣教会の信徒(メンバー)と交流をしてきたからだと思う。

母だけでなく、母のような世代の方々がキリスト教福音宣教会の信徒には多い。
そして、その世代の信徒がそれぞれが話すことにおいて
「御言葉」を聞くこと、受け入れることはある種の「洗脳」といえば、洗脳かもしれないが、世の中が心配している「洗脳」ではない。そういう意見が共通している。

それは、韓国のチョンミョンソク牧師の裁判を担当してきた裁判長が言う通り「洗脳」されているからなのだろうか?

50代、60代以上の方々と接したことがある人は分かると思うが、それぞれの人生経験の中で意思、思想が確立されている世代はその経験から判断される。それは、若年層にはない確固とした「つよみ」だと言える。

そして、その「つよみ」をもってキリスト教福音宣教会でチョンミョンソク牧師から御言葉を聴いて、先生の精神、その生き方、常に神様の御言葉を実践されている姿をみて感動し、認めるようになったから、自分たちのように人生経験が豊かではない若い世代はどうして、先生のことを信じられるのだろうか不思議でならない。と話されるのを聴いたことがある。

そもそも、洗脳されていたら、それ相応の事件をそれこそ、顕著に起こし、明確な証拠となる言動があるはずだ。

その昔、2006年ごろ日本で摂理カルト報道がされた時に、私の家族だけでなく、宣教会の信徒が勤めていた職場の方々などが、むしろその報道がおかしい。と、思った人たちがいたのも事実である。

作られた情報は事実ではない。
事実は、自分が目にしたことだ。
そう、私も痛感したけれども、おそらくキリスト教福音宣教会(摂理)の信徒の人々になんらか交流したことがある人達も同じ思いを抱いたのではないだろうか。

洗脳、洗脳っていう割には、裁判なのに具体的な問題点をまった上げられなくて、指摘できないというのは
支離滅裂という言葉がぴったりすぎて笑止千万。

日本でキリスト教福音宣教会(摂理)をカルトだと決めつけている方々が主張する「洗脳」もこれと同じだ。と言える。

チョンミョンソク牧師の裁判を通して、
証拠も事実もない主張・判断は、自分の意見と自分の利益のためによるものではないかと私は思わざるを得ない。