「チョンミョンソク氏、服役終了間近」その真相を追う内容です。
女性たちと蚊帳の中にいるところにカメラを向けられそのカメラを荒々しく手でさえぎる行為が収められているその動画が教祖による日常的性暴行の証拠と言われていますが、その「証拠」から真相を見いだす5つのポイントがあります。
その5つのポイントとは?
①証拠扱いをされている動画の持つ意味
もし、本当に女性に暴行、性的な行為を強制している現場ならば
カメラを回すよりは、止めに入って助け出すことが然るべきではないでしょうか?
この動画の様子から、性的な暴行が日常的にあるのでは?と疑念、疑惑を持つしかないですが、そもそもを考えるといくつも気になる点が見えてきます。この動画は誰がどのような目的で撮るに至ったのでしょうか?
②その現場にいた女性は今はどうしているのでしょうか?
現在もキリスト教福音宣教会-摂理内部の人です。
その一部始終を現場で見ることになったその女性は、手に持っていたカメラで撮影しておけば先生に汚名が着せられることはなかったと悔やまれています。
当時、チョンミョンソク牧師に面談をしに2名で訪れていたそうですが
その面談を希望していた方は、摂理で信仰生活をすることについて、会社や親族から猛反対をされている人だったそうです。
その方がもしカメラに映るならば、ひどいトラブルが起きることは必須だと察したチョンミョンソク牧師は、カメラを手で遮る行為をしたそうです。
なぜ当時、女性はカメラ撮影ができなかったのでしょうか?
チョンミョンソク牧師はそのカメラを回していた男性たち複数から、殴る蹴るの暴行を受けたそうです。
目の前でひどい暴力がある時、立ちすくんでしまうことは無理はないでしょう。。。
③性的暴行をされている女性を助け出さない人とは一体?
カメラを遮った理由はチョンミョンソク牧師が「人に見られてはいけない行為をしていたから」そのような荒々しい暴挙をしたのだという解釈をされ続けていますが、イケナイ行為ならば、助け出すのが人の良心ではないでしょうか。
助け出す必要もなかったからこそ、カメラを回し続けたのではないでしょうか?
④どうしてその場にいた女性はチョンミョンソク牧師を訴えないのか?
もし、性的暴行が行なわれていたならば、その場所にいた女性こそが摂理から脱退・脱会しその映像を持って訴えるのではないでしょうか?しかし、その方は不甲斐なかった、悔いるとご自身を責め続けています。
⑤社会現象「#me too」と全く真逆な摂理の女性は奇人変人?
「#me too」というハッシュタグで、ひどいセクハラ・パワハラが横行しているということを告発・証言されたニュースが最近ありました。一人が勇気を出して告発すれば、みんな叫び出せるようになるという思いで投書されたそうです。
自らが受けた性暴力について語り、連帯する「#metoo」。
米国ハリウッドに端を発するこの動きに、はあちゅうさんは背中を押されて証言。
作家・ブロガーとして活躍するはあちゅうさんが電通在籍時代に受けたセクハラ・パワハラを証言したことをきっかけに、日本でも自らが受けた性暴力について語り、連帯する「#metoo(私も)」の輪が広がっている。Buzz Feed NEWSより引用
AFP=時事
もしチョンミョンソク牧師が性的暴行をしていたならば、勇気ある告発にまた一人、一人ともっと告発の波が起きるはずです。
しかし、韓国でチョンミョンソク牧師を告発していた人は虚偽の証言をしたと謝罪し、告訴を取り下げています。
チョンミョンソク牧師によって何十人、何百人が被害に遭っているという話をまるで見たかのように話す方を見たことがあり、性的な刺激を提供する週刊誌の情報を鵜呑みされすぎていて呆気にとられたことがあるので、現実をお伝えさせていただこうと思います。
そのようなことが、もしあれば女性は女性を見殺しにするようなことはありません。
この「#me too」という社会現象が国を超えて起きていることがまさに物語っているのではないでしょうか。
女性も「人間」なのです。
心があります。
誰かが傷つけられていて、
人間として扱われないような目にさらされているならば
告発し、助けるのが
人として当たり前です。
そして、
人間として対等にみなされず、ましてや
心がないモノのような扱いをされる所に
自ら、「居たい」と思うでしょうか?
女性には考える力がないのでしょうか?
一度、女性の視点で考えていただきたいです。
ハラスメントは言葉の暴力から始まっている。
性暴力問題の一つとして、被害者を責めるセカンドレイプが深刻であることも昨今明らかになっていますが、そのセカンドレイプや性暴力が起きる理由を突き詰めていくと、同意がない性行為がどれほど心を傷つけられるのか認識されておらず、また女性は対等ではないという意識がどれほど根深いのか思想の問題性が露わになっています。
「セクハラや性暴力が日常化するあまり、被害を訴えるとかえって批判されたり、嫌がらせをされたり、セカンドレイプを経験したりすることを恐れて、泣き寝入りしてしまう人は少なくありません。中には、『そんな服装で家に行ったんだからしょうがない』『痴漢くらい我慢すればいいのに、相手の人生を台無しにして…』と責められる人もいます。
もちろん本人が『NO』と言えるようになることも大切ですが、性行為においてなぜ同意が大切か、どうすれば対等な関係を築くことができるかを広めていくことが、根本的な解決に繋がっていくのではないかと考えます」性暴力防止のキャンペーンを続ける「ちゃぶ台返し女子アクション」共同代表の大澤祥子さんは
性的な行為をする際に、必ずお互いの同意があることを確認し、意思を尊重する必要があるという「セクシュアル・コンセント(性的同意)」が軽視されていることが、セクハラなどの性暴力が日常化している原因だと指摘する。Buzz Feed NEWSより引用
つまり、チョンミョンソク牧師が性暴力・強姦をするような人ならば
言動にその思想が、歴然と現れるはずでしょう。
そのような聴くに堪えないコトバを好き好んで聴く人はいるでしょうか???
しかしむしろ、日本を始め台湾、シンガポールなどのアジアだけでなく、アメリカ、イギリス、ドイツ、など世界各国で新たなメンバーがチョンミョンソク牧師の生き方、その教えに感銘を受けると証言しています。
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そのような私たちがチョンミョンソク牧師に騙されているとおもわれる方もいらっしゃるようですが、
もし仮にチョンミョンソク牧師に騙されているとしても、誰が得しているだろうかと考える時、まぎれもなく私だと思うほど、先生に助けて頂きました。
10代から今に至るまで幾度となく、「女だからこんな思いするのか?」「女なんかに生まれなければよかった」とか思ったことが私はあります。
どうしてバカにされるのか?どうしてこんな扱いを受けなければならないのか?
理不尽な現実を問うても、悲しみから生じた怒りと憤りは行き場もなく、憎しみに変わるしかありませんでした。
しかし、世の中を恨むしか無い様な目に遭うとしてもチョンミョンソク先生は、いつでも、どこでも常に感謝して、喜んで生きることを説きつづけています。
人生を生きる上で、「常に感謝して、喜んで生きること」それは簡単なことでしょうか?
そうありたいですが、私は申し訳ないほどそのように生きることが出来ませんでした。
どうしたら、憎まず、恨まずに生きることができるのか
それを教えて下さった方がチョンミョンソク先生でした。
中身のないの虚しいコトバが
人を感動させたり、生きる力と希望を与えることが出来るでしょうか?
神様が与えて下さった良心と
考える力で
真相は自然にはっきりと
見えてくるはずと信じます。
※長めな蛇足
性犯罪・性暴力の防止と被害者救済に取り組まれる方々の話に共通しているのは「認識のゆがみ」
加害者の認識のゆがみと被害者を取り巻く周囲の認識のゆがみが被害者を苦しませ続けるという点でした。
加害者の認識のゆがみ・被害者を取り巻く周囲の認識のゆがみとは?
「ちょっとくらい触ったからって、減るもんじゃない」こういう言葉が痴漢の常習的加害者には多くみられるそうです。
加害行為を過小評価し、被害者には心も人権もない「モノ化」されています。
しかし、加害者だけではなく被害者の周囲にも「交通事故にあって下半身不随になったわけではない」という慰めているつもりでもっと心の傷を深くする言動があまりにも普通にあるそうです。
どちらも被害者の心について、被害者の立場と人権についての認識があまりにも希薄です。
日本で初めて、民間で性犯罪加害者に向けた再犯防止プログラムを立ち上げられた斉藤章佳さん(精神保健福祉士 / 社会福祉士)
のべ1000人以上の加害者と向き合い、加害者の歪んだ認識の矯正を取り組まれてきたそうです。
加害者のゆがみが、どれほど深刻なのかその一端が見える記事があったのでご紹介します。
加害者の歪んだ認識治療に取り組まれている斉藤章佳さんへのインタビュー
「加害行為をして傷つけた人は誰かと聞くと、最初に出てくるのが家族、そして次に職場の上司。
最後にようやく被害者が出てきます。
さほどたいしたことをしていないのに家族や職場に迷惑をかけてしまって申し訳ない、という認識なんです」「もし、あなたのパートナーや娘が同じような性被害を受けたらどう感じますかと聞くと、少し時間をおいて『殺しに行くと思いますね』と言います。ではあなたは殺されてもおかしくないことをやったんですね、と言うと、ようやくハッとする加害者がいます」
「痴漢を繰り返していた人に、痴漢行為をやめることで失ったものは何かと聞くと『生きがい』だと言うのです」
Buzz Feed NEWSより引用
服役中に法務省による性犯罪再犯防止指導を受ける加害者ではなく、自分の意思で再犯防止プログラムに参加している加害者だとしても、「加害者記憶を放棄していることが多い」現状だそうです。
痴漢の常習犯が家族も仕事も失ってまでさえ、繰り返して痴漢をし続けるその根本の原因を掘り下げると
「こころのバランスの取り方と認識が間違っている」と斎藤さんはこの記事の中で指摘されています。
ストレスを性犯罪・性暴力で消化する思考の癖・習慣を治すにはどのような段階を踏むのか?
性犯罪や性依存症の治療では、再発防止プログラムと薬物療法を合わせると、問題行動を止めることはある程度はできるという。自己分析をし、犯行パターンを洗い出して悪循環のサイクルを知り、各リスク段階で対処行動をとる。つまりは犯罪の引き金となる「トリガー」を明確にし、適切なタイミングで問題行動を防ぐのだ。
加害者本人の内面を変えることはひとまず置いておく。そして問題行動を止め、被害者を出さないスキルを学ぶこと。
これは加害者臨床の「変化のステージモデル」の第1段階だという。
第2段階では、問題行動を反復・継続しないようにするために、身勝手で都合よく現実を解釈する「認知の歪み」を修正する。
第3段階でようやく、性差別や支配欲といった加害者本人の価値観の歪みにアプローチする。
ここまでくるのに3〜5年かかるが、そもそもこの段階までプログラムを続けることができる人は少ない。Buzz Feed NEWSより引用
本人が再犯したくないと願っていながらも「自分の間違った認識」を認めるまでに、ものすごい時間と労力がかかることに驚きました。考え方と行動を治すにはやはり数年かかるのだと改めて思います。
私自身、怒らなくてもいい所で怒るクセがある事に気づいて直したくても直せずに自暴自棄することがたくさんあったのですが、自分の認識のゆがみを心理学で見つけることができました。
そして、根本的に神様の愛という真理によって解かれるようになりました。それもやはり3~5年かかりましたし、今も日々自分をより良く直そうと努力している毎日です。
加害者臨床の記事を読んで、つい最近教えて頂いた内容が思い出されました。
「<脳神経>が一度興奮し加熱されたら、まるで急勾配の凍った道を滑っていくのと同じで、この時は誰かが止めて静止してはじめて、止まるようになる。」
「<悪と不義>だと知らなかったとしても、「脳神経と体の神経」はそのとおりに興奮して加熱されるから、「悪と不義」を喜んで行なうようになる。喜んで行なうから、脳神経がもっと興奮して、続けて行なうようになる。 <善に属したこと>であれ、<悪に属したこと>であれ、「脳神経」が興奮したら、自分が自ら願ってするようになる。 あることに習慣になると、そちらのほうに「脳神経」を興奮させて行なうようになる。憤り、血気を出すこと、怒鳴ることもそうだし、さまざまな言葉と行ないもそうだ。」
(2017年11月30日チョンミョンソク牧師による明け方の箴言より抜粋)
チョンミョンソク牧師は「脳の構造・脳の性質」をもとに「考えをよく作ること」をずっと教え続けています。
加害者は何年もかかって認識のゆがみを知るようになる現状からみても、チョンミョンソク牧師は加害者ではないことが明白です。
事実、チョンミョンソク牧師はすでに、嫌疑なし(無実)だと韓国の検察においても発表されています。
なぜ服役されているのか?「冤罪」についてまとめた記事をよかったらご覧ください⇒冤罪とは?
性犯罪防止の取り組みの問題点
「これまでの性被害を防止する取り組みは、被害者自身に対策を求めるものが多く、「夜道を歩くな、お酒を飲み過ぎるな、ミニスカートをはくな」など、対策することは大事ですが、どうして被害者だけが行動を制限されなければいけないのでしょうか?」
この問題提起を目にしたとき、確かに加害者を生じさせない防止策は今まで見たこと、聴いたことがないことに気付かされたのと同時に、性暴力問題を掘り下げることについて日本はあまりにも遅れているということを感じました。
それが反映されているかのように今年110年ぶりの法改正で性犯罪の厳罰化が成立されましたが、それでも現実に即していないという指摘があります。
「強制性交等罪」が現実に即していない点とは?
今年、法改正された「強制性交等罪」について「抵抗したくてもできない状況が多々存在する実態に即していない」と
性暴力を防止・撲滅運動を推進されている<ちゃぶ台返し女子アクション>の代表大澤さんは語られています。
「現行の刑法では、被害者が必死に抵抗していないと判断されたら、罪にならない可能性があります。
でも実際には、抵抗したくても体がフリーズしてしまったり、さらに危険な状況を招く可能性があったりと、抵抗できない状況はいくらでもありえます。しかし実際の判例で「やめてとは言ったが、大声ではなかった」「服が破れてはいなかった」ことなどを理由に、罪に問われなかったケースがあるのです。だからこそ、暴行または脅迫があったかではなく、
『同意に基づかない』性的言動は全て性暴力だという認識を広め、社会で共有する必要があります。
相手の意思を尊重しないなんてありえない。セカンドレイプなんてありえない。性暴力を防ぐ責任があるのは被害者だなんてありえない。そんな認識が当たり前のものになっていけばと考えます。」Buzz Feed NEWSより引用
たしかに、判例を読むと、強姦罪に問われる事件において
ある裁判官は同意があったとみなされるという場合もあったり、ある裁判官は厳刑しかないとされていたり、
裁判官で全く違う判決が出ているのを見ました。
加害者と被害者の関係性や、検察などの対応・判断がそれぞれの状況、事件ごと違うことは否めないとしても、同じ法律をもとに裁判はされているはずなのに、判決が裁判官によってかなり違っていることを知りました。被害者と犯罪そのものに対しての「捉え方」がいかに重要なのかを感じるしかなかったです。
今年の法改正を機に性犯罪・性暴力についてを調べました。
(こちらの記事です⇒強姦罪110年ぶりの改正、「強制性交等罪」の成立より性犯罪被害者と加害者を考える。)
被害を受けた方が無くしたくても拭い去れない記憶のせいで社会生活もままならないことや、勇気を出して警察に届けを出しても、「証拠不十分」と言われ起訴できないこともあったり、治療を受ける中で医師からの心無い言葉や、周囲の無理解によってセカンドレイプでさらに心に傷を負われているの知りました。
「理解することはできなくても、理解しようとしてほしかった」癒えがたい心を知ってほしいと叫びのような一言が今も心に残ります。性暴力をなくすためにとサバイバー(被害体験をされている方々)として性暴力を防ごうと活動をされている方々の存在も知るようになりましたが、加害者側の身勝手さに負けないように「苦しみに屈したら自分が負けてしまうことになるから、前を向いていく」とご自身をふるいたててらっしゃる姿が忘れられません。
性暴力問題は、そんなに遠くにある話ではない。
以前、職場でセクハラ(性的な言動)に遭遇したことがあります。
たしかに加害者である方は自分がしていることがどれほど相手の心情を無視してるのか分かっていらっしゃらなかったです。
そして、みんな見て見ぬふりをしていました。
暗黙の不快さを破るって職場としてしかるべき言動ではないとはっきりと伝えた所、見て見ぬふりの空気の流れが一気に変わりました。みんな心の中でセクハラだと思っていても、はっきりと言えないだけなのだと痛感しました。
見て見ぬふりをして耐えるのが得策だと思っていただけだったり、表現をどうすればいいのか分からないだけだったのかもしれないと思いました。
ちゃぶ台返し女子アクションのworkshopでは被害者を作らない第三者の行動を3Dとしてまとめられています。
非常に参考になりました。
【3つのD】
・DIRECT《直接介入する》=加害者や被害者になろうとしている人に直接干渉し、事態の悪化を止める
・DELEGATE《委譲する》=警察やその場にいる人など、適切に介入できる別の人に助けてもらうようお願いする
・DISTRACT《気を紛らわす》=加害者や被害者の注意をひいて邪魔をし、問題となりうる状況を回避するBuzz Feed NEWSより引用
「相手の意思を尊重しないなんてありえない。セカンドレイプなんてありえない。性暴力を防ぐ責任があるのは被害者だなんてありえない。そんな認識が当たり前のものになっていけばと考えます。」大澤さんがおっしゃっているとおり、当たり前なことが当たり前に表現できるような認識作りが必要だと痛感します。
キリスト教福音宣教会-摂理で私は「神様が一人ひとりを貴重な個性として創造されているということ」を実感する学びの中で、性蔑視など体験してきた傷が癒されました。
傷を受けて自分自身に価値がないと思って荒れていた時期が私はあります。
本当に親不孝者でした。
「何で私を生んだのか?こんな自分なんか殺してくれ」とまで言ったことがあります。
何が善くて悪いのか、それを冷静に分別出来るようになったのは、
6千年の歴史をもつ聖書を通して完全に、人間の本来の価値を教えることができるチョンミョンソク牧師に会えたからです。
そしてチョンミョンソク牧師は決して言葉だけで教える方ではありませんでした。
「聖書に書いてある言葉は、人間の言葉ではない神様がくださった「みことば」なのだ。」
それをチョンミョンソク牧師は命を懸けて説き続けています。
10年以上みせてもらいました。そして人間の可能性と人間本来の価値をおかげで見つけることができました。
「悪で接されても、悪で返さない生き方」をしようそう思うようになり、自分自身の価値性も日々取り戻しつつあります。