疲労困憊の現場ゆえに起きる軋轢を、教えという洗脳で回避。

だれしも経験、覚えがあると思う。
忙しいときって、心を失うって。
ほんとに漢字ってよくできている。まさにソレ。

いま短期でお世話になっている現場は人件費を抑えて少数精鋭で稼働しているため、既存スタッフの方々は常にいら立ちと疲労を抱えている。

ゆえに、訊いたらまずイライラしながら返されるし、怒られる。。。
ひとことでいうと、理不尽の巣窟。

そんなわけで職場は暗いし、休憩室では「戻りたくな~い」といつも誰かがボヤいてる。

最初は、可哀そう・・・・と思って、少しでもお役に立てるように頑張ろうと思っていたが・・・
負の感情をぶつけられまくると、知らずと怒り気味になっている自分に気づく始末。。。

しかし、負の感情に、また負の感情を返してもあまり気分は良くないことは確か・・・・

そんなときだったからこそ、「理想世界はこうやって成される」と教えてくれた主日礼拝のメッセージがえらく染みて( ;∀;)

温かく柔らかく、心を全部包みこんでくれて、、、私の心を癒しながら、どう生きたらいいのか、むずかしい局面で、希望を成す力を心に与えてくれるお手本を通して神様が教えてくれているのが感じられ、涙がこぼれた。

人を憎むこと、憤ることは本当に簡単。

でも、許すこと、愛することは、難しい。そんな自分の考えの限界を優しく取っ払ってくれる教えについて、

世の一部では『洗脳』という単語を当てはめる。

洗脳って言われても
人を憎み、憤り、疲れて生きるよりはずっといい。
どこかの誰かに適当なこと、何を言われてもいいやと思う。

なぜなら、、憤りより、許しのほうが、ずっと幸せに近いって体験したから。
(ただし許すだけでは自分の心を守れないため、不当な部分をいかに改善していくか、それが大事でもある。)

憎しみと憤りよりは、許しと改善で前向きに対処できるってホントに良いなとおもう。

洗脳がいつしか、肯定的な言葉として使われるようになるようになる日がいつか来るかもしれない。
そう改めて思った。

労基法違反の職場にどのように対処したかっていう話。

私はいわゆる就職氷河期世代である。

就職氷河期あるあるな派遣社員としての就業が多く、すぐに就業が決まるからという理由から
短期就業を繰り返すしかない(リーマンショックや東日本大震災や今回のコロナなど時代背景しかり)ということで
職務経歴書にはやたらと「契約期間満了」という単語がならぶ。
ゆえに、ハローワークなどで直接雇用の求人応募をすると大体この職歴で書類落ちになるしかない。
ゆえに、さらに派遣社員として働くという抜けられないループにドはまり中。
なのだが、それでも自分をほめてやりたいと最近思うようになった。

私は一度も、契約期間途中で退社したことがなかったから。
そう、なかった。と過去形のなのは私史上初、契約破棄をした。それも、つい最近。

「労基法違反は仕方ない」ということで改善の考えがまったくない現場責任者をはじめ、4名体制のところ産休の方がいらっしゃり3名体制でするということだが、これが無理がありまくる上に、教えてくれる人もマニュアルなども皆無。
心身が疲弊すること請け合いの極めつけが忙しいときはお昼休憩が取れないという、労基法違反。

もちろん、派遣会社の担当者に報告、相談をした。
が、しょせん他人。しょせん使い捨てな派遣社員の身の上ゆえに「もし辞めるとしても次の方が決まってからで」といわれる。
え?私が入る時に、なんで来月2名一気に辞めるって教えてくれなかったの?
諸々のルール違反の中で何をどうすべきか?を天に求めた。

法とは命を守るものである。
以前、法についてチョンミョンソク牧師が聖書、神様の御言葉について説いてくれた時のことを思い出す。

たしかに、労働基準法に定められている内容は労働者の権利。
その権利を奪われるような日常に、私は何を得られるのだろうか。

だれも助けてくれない。
守ってくれるのは労基法と労働条件通知書だけじゃん私って。
なのに、今は派遣先の横暴さにより、その二つを踏みにじられている。。。

でも、ここでやめたらもうこの派遣会社からは永久追放だろう。
そして、仕事がすぐに決まるとは限らない。
さらに今はコロナの影響もあり求人数も芳しくない。。。

そういったことを加味してどう判断するか?

昔だったら、ひたすら我慢して、心身具合悪くなるとしても、その場にいたと思う。
もしくは、現場に派遣会社に憤りで喧嘩していたと思う。
でも、今は違う。
選択できることを知ったから。
どうすることもできないことに腹を立てても仕方がないと分かったから。

少しでもはやく仕事が決まるようにもがこう。
法を守れない場所に縛り付けられながら心身消耗していくよりはずっといい。
今まで、もう無理かも。
不安と恐れを感じながらも首の皮一枚で仕事をもらってきた。
それはいつも天の計らい、御働き、愛を感じてきた。
出来ない難しいと思った仕事も、出来るようになるまでの過程の中で、やれば出来るという心が培われ体得してきた。

人に誇れるほどのものは全くないが、私は20年前の私より、自分のことが好きだと思える。
チョンミョンソク牧師が見せながら教えてくれた「いつも感謝しなさい」
そうその心でやっていけば
なんでもできる。

無理な場所で感謝を無理矢理するのではなくて、
私の権利を守れる場所で感謝しながら働くことを選んで後にしたのだった。