類は友を呼ぶ。ということなのか、定期的に行くカルチャーセンターではスピリチュアルが大好きな方々が8割。

スピリチュアルも色々あるらしく、空や瞳の中に龍が視えるとか、宇宙にある何とかという、星からやって来たとか、前世視える人に会えるとかなんとか。これって、新興宗教かなんかなのかな?と熱心に語ってらっしゃるのをみながら「わたしもこんな風に見えてたら嫌だなあ。というか、TPO的にどうなのか?」と、毎回思う。

 このスピリチュアラー?さんたちはほとんど主婦の方々で、年代的には50代がとくに熱心な気がする。お子さんや旦那さん、職場での悩みなどから少し距離を、置けるのがどうやら良いらしい。

家族仲が、悪いのはそれぞれの前世が敵対する星で生まれたから仕方ないとか、旦那さんに話が通じないのは、前世が鹿だったから仕方がないとか。私の前世は貴族だったって言われた。あ、ワタシも!とか、そんな話を非常に意気揚々と皆さま話されていらっしゃる。

ちなみに、前世見える方に謝礼金30分5千円らしい。みんな、喜んで予約して、お金を払ってるのは、誰かに話すことでスッキリするし、心の置所(〜だから仕方がない)を、得られるからのようだ。

私も聖書学ばなければ彼女たちのようになっていただろうか?と自問すると、0.5秒もせずに無理だなあと自答した。問題の答えを仕方がないでは、納得できない突き止めたくなる性質だから。

 仏教系のスピリチュアルだと業がなんとかとかで来世は人間にはなれないとか、ヨガ系スピリチュアルだと何度も転生することが修行だとかなんとか。そういう理論?が私には響かない理由は、考えても答えを見つけられなくて、苦しくて辛くて死ぬこと考えるのが日常生活だったからこそ、こんなのが、修行ならば人を怨むより生まれてきてしまった自身を怨めというところにしか落ち着かない。私など最初から生まれてこなければ良かったそれに尽きる。そう言う考えが強かったからだ(そして、その考えは強すぎて今もまだ後遺症気味。ホントに、考えが大事かつ、恐ろしい)

何より、なんも確証ない話にお金を請求されても、払いたいとは私は思えない。これも考え方次第で、払える金額ならば、その内容を買うことで自分自身が安心できるならば買うということなのかもしれない。

つまりは、いっときの逃げ場を得られるのがスピリチュアルが、支持される特徴なのか?と、勝手に納得させてもらった。

たしかに、死ぬくらいならば逃げたほうが良い。だろうと思う。わたしは、なんで逃げられなかったのか?というと、やはりこれは生い立ちの家庭的問題になるわけで、逃げられにくい。というか、これもまた個人差、考え方によるのかも。

ただハッキリ言えることは、わたしがどうこうというよりは、何千年もかけて守られ伝えられてる聖書を学ぶというのは、一時的な安らぎを得るというよりは、生活と人生を生きるために必要なことを、歴史を通して学ぶから、何千年も昔の人たちを通して自分の苦しんでいることも、解かれるこの不思議さ、その厚み。

それを、知ったとしても自分がどれだけ受け入れて信じるかどれだけ行うかにかかってくるこの自分の責任。地に足付けてもっと幸せに一人ではなく一緒に生きよう。と、教えてくれるので、私にはそれが合っているなぁと噛みしめる。そんなはなしだ。