~摂理に出会う前の私・ちーちゃん篇⑬~

超多忙な整形外科の仕事をしながら御言葉を学び始めたちーちゃん。

忙しい仕事の合間を縫って、教会に通うようになりました。

聖書の話がとても新鮮でした。
今まで社会で働いてきて、妥協していたことや解けなかった問題が、
御言葉通りに行うと、どんどん解決していくのです!

休みの日は実家から2時間、
仕事が終わった後だと、職場から1時間半かけて通いました。
その後帰宅するといつも帰りは深夜でしたが、疲れも感じないほどでした。

そんなある日。
院長から「看護師の資格を取らせてくれる」という話が降ってきました。

3年間、働きながら専門学校に通い、
資格取得のために勉強をして、
資格を取ったら1年はその整形外科で働くことを条件に
経費を全面サポートしてくれる、という前代未聞の話でした…!

「これぞ神様のプレゼントだ!!」と喜んだちーちゃん、
教会の牧師さんにもさっそく話しました。

するとその牧師さんは、静かにひとつの比喩を話してくれました。

「ある家族とおばあさんが少し離れたところに住んでいました。
ある日の夜、嵐が来て、おばあさんの家が停電になりました。
おばあさんを助けに行こうと、長男はすぐに家を飛び出しました。
しかし、弟は何かを探していて、遅れをとりました。
親から「お兄さんはすぐ助けに行ったのに、お前は何をしているんだ!」
と叱られながらも、あるものを探していました。

そして「あるもの」を見つけて家を出ていきました。

結局、おばあさんを助けることができたのは弟でした。

弟は何を持っていったのでしょうか?

【灯り】でした。

お兄さんは先に出ましたが、嵐の中さまよい歩き、
結局おばあさんを助けることができませんでした。」

・・・・・・・・・・・・・・

話を聞きながら、自分の状況を考えてみました。

【灯り】は聖書で【御言葉】を喩えます。

そもそも、今どうして資格を取ろうとしたのか、考えてみました。

資格があれば今後のためにもいいし、病院がサポートしてくれるなら
せっかくだし取っておこうかな、という程度でした。

でも、どんなに誰かを助けたいと思っても、
自分に灯りがなければさまよってしまう。

いったんはこの灯りを探してみよう。
看護学校よりも先に、御言葉に時間を投資してみよう。

そのように感動を受けて決心して、入学願書をキャンセルすることにしました。

院長に伝えると、院長も職員たちも「こんなにいい話なのに!?」と驚いていました。

でもちーちゃんの心はすっきりしていました。

あとで聞いた話ですが、私と同じケースで看護学校に通った人が
後で大変なことになったそうです。

特別扱いを受けたことで他の看護師たちから嫉妬されていじめられ、
1年の在籍が決まった途端、院長や病院側からの扱いもひどく荒くなり、
肉体的・精神的に限界を超えてしまったそうです。
しかし辞めたら契約通り学費を全額払わなくてはならないので
辞めたくても辞められず、やがてうつ病になってしまったそうです。
痩せて変わり果てた姿になったと聞きました。

ひとごとではありませんでした。

ちーちゃんも同じようになっていたとは限りませんが、
少なくとも超多忙になって御言葉を聞き続けることはできなかったでしょう。

やっと出会えた人生の答えを得る道だったのに、失ってしまうところでした。

神様が働きかけてくださったのだと、今は感謝しかありません。


神様と聖霊様と御子が人間に働きかける方法の中の一つは
<感動>で働きかけることだ。

鄭明析牧師の明け方の御言葉より