よく見ること=よく考える事によく似ている。

武道をしたとき、ただ見るのと、よく見ることの違いを知った。

ただ見ていると、相手に打ち込まれるのも、打ち込むのも怖くて、逃げたくなる心だった。

スポーツの勝敗とちょっと違って、武道の勝ちとは、生きることであり、負けは死であること。

一回の打ち込みも
相手の動きを何通りも考えながら、間合いも計って、集中しながら瞬間をとらえようとする時
どうやったら生きるか、それだけを考えていたその時は、相手を怖く感じることが無かった。

電話越しに、不穏なお客さんとのやり取りでも同じだなと思った。
不穏な空気に飲まれてしまうと怖さで逃げたくなるが、
どうして不穏なのか、それの原因がどこから来ているのかをじっと耐えながら探そうとすると
結局何をしたいのか何を言いたいのか、それが見えてくる。
表面上のメッセージは氷山の一角だということをかみしめる。

怖いということも、表面よりも内面に向ける時に
見えること、分かることが出てくるのだ。
これって結構いろんなことに適用できる。

今週、自分の中の考えの盲人な部分を省みている中でふと思った気づき。

よく考えなさいと、よく仰るのは、細かく見ることであり、より根本を見ることだと改めて思った。

やはり、神様の御言葉の威力ってすごい。
そうかみしめる。