ご存じのとおり、マザーテレサはシスターなのでご子息、孫等いらっしゃらないですが(^_^;)

以前、ご紹介した「休憩時間がない職場にムーブメントを起こした女。」の異名です。

由来は、職場でクレーム対応をする時にどんな相手でも穏やかに、肯定的に接する姿を見た同僚・後輩から
「マザーテレサの子孫ですか?」と言われたそう。

すげー愛の光放ってる。
と思いました。

神様の御言葉をたくさん聞いて、学んでも、行なわなければ
行なうとしても、そこに愛がなければ
本末大転倒

わたしは御言葉好きですが、その通りに行なえているか?核である「愛」を分かっているか?

行なえているとは言えない・・・・愛、ワカッテイナイ。と
やまなしと東京をふたたび往復する生活をするようになってから、この7年くらいずっと思っています。

聖書を読むと、(新約聖書ヤコブの手紙に)「行ないのない信仰は死んだものである」この一言に
何度息の根を止められそうになったことか。。。。

教会の無い地方で信仰生活守るだけですごいとか、ごくたまに言われるのですが、
私は摂理の御言葉はどこでも実践できると思っているので
実践できていない自分を見るたびに、なんつーくそ野郎だと思います。(あ、品性が良くなくてすみません)
教会や、信仰の姉妹たちのすばらしさ、有難味は深く味わいますが、信仰生活とは人生だから、場所とか環境とか自分がクリエイトするのは自然というか、神様は無から有を作られたんじゃん?と。おもうのです。

御言葉の素晴らしさを伝える姿。。。
それは生活のどこでも可能だと思います。

生活の隙間のような瞬間、瞬間、というか、生き方そのものを通して、神様の愛と真理を伝わるようになりたい。

チョンミョンソク先生がそうだったし、わたしたちその先生から教えてもらったんです。って
これがどうしてカルトなの?って多くの人が認めるしかない姿を現していきたい。

そう、マザーテレサの子孫とランチしながら思いました。