地味ですが・・・。

味わい深い楽しさです。

さやえんどうの収穫。

時々、いもむし君とかに遭遇しつつ黙々と摘み取ります。

水遣りは結構アバウトでも育ってくれるようです。
採れ始めると、これでもかッと怒涛のごとく毎日さやえんどう君がレギュラーで食卓に登場してくれるんですが5月も末になると
また来年ね~と別れを告げられる今日この頃。

時の流れと、あっという間の刹那を体感しながら
旬のモノを頂けることに感謝しています。

東京暮らしをしたときに、土の匂いがする野菜ってじつは貴重だったんだと
その価値を知りました。

失う前に価値を知りたい。
そう思うことが人生に何度かあったんですけれど、
ここ摂理に来てから教えてもらったコトのひとつ。。。

使ってみたら価値がわかる。

これまたシンプルな方法でありながらむずかしいのが

「使い方」

なぜなら私は自分の価値をマイナスで捉えている人でした。

使いようがない自分をどうせよと?と本気で思ってました。

今もまだまだ自己肯定感が低いですけれど、できないことを出来るようにする。という、これまた地道な地味な訓練を何度もいろんな場所で挑戦してみる機会を天からもらって、なんもできなかった自分がイロイロな人たちや環境通して助けて頂きながら、存在するってこういうことなんだねと、ようやく0ポイントにほふく前進で到達した感じ。

 

そんなわけで、まだ目が開かれていない知るべき価値について、あすも励もうと思います。

知ることが希望。

コトバにヤラれ、コトバで立ち上がる。

これ最近いろんなところで聴いたり、目にしたりするコトバ。

バズーカ砲で木端微塵にされるような威力を感じてしまう結果出せてないワタシなんですが、

たしかに「結果」があってこそ。

事実その通り!と受け止める次第です。

「みんな一生懸命なんだから」って明石さんまさんがおっしゃっていたそうですがamenです。

見方かえると一生懸命にした!という
そこで満足しないで、結果まで出せるようにもうちょい!やってみ!という応援のコトバなのかもですね。

しかし、結果が出なくて苦しい、しんどいって思いはどうしたらいいのか?

うまく行かない時、打ちのめされそうな時こそ、こうしたら良いよとsimpleに前進する鄭明析牧師から教えてもらいました。

「≪方法≫を換えてやってみること。」

考えること、
行ない続けること。

 

何かのせいにしたり、諦めたりすることが当たり前だった自分に別の道が出来た感じがしたものです。

人生の道をどのように作るか歩むかは自分次第。

気を引き締めてまた立ち上がります。