ハネダシのトマトから教えてもらったコトを伝えたい。

母の知り合いの方からハネダシ(売り物の基準に至らなかったモノ)のトマトをいただきました。

これのどこがイケナイのかが、まったくわからない見た目&おいしさ。

取引先の基準なのか、ご自身で設定された基準なのかわからないけれど、美味しいトマトの恩恵をあずかれたことに心から感謝。

作られた農家さんスゴイですよ〜そして、下さった神様ありがとうございます〜と心の中で叫びつつ、ファイトケミカル🍅豊富なサラダを作りました。

最近、素敵な五月晴れが強度を増し、夏を感じさせる時があったので「夏野菜食べたいなぁ」と思っていたところだったのです。

私の心のつぶやきをも拾ってくださった神様に感謝しながら🍅頂きつつ「しかし、この基準ってどこにでもあるよね・・・」

ちょっと最近嫌な思いしたことが思いだされてきて
「基準」ってやつは・・と。
物思いにふけりました。

冷静に考えると自分にも選択の権利はあるんですけれど、
自分ってものにあまり自信がないとなんらかの基準に至らない自分は、「ハネダシ」なんだ。と凹むわけです。

凹みにかんして、それを埋める努力をするか、それも味にするか。
いろいろ捉え方や対処はあるんですよね。実は。

そして何より

私にとっては「ハネダシ」のトマトではなく、「神様がくださったプレゼント」だったように
基準では計れない価値がじつはある。

万が一、基準というハカリにかけられてちょっと気分凹んでいる方がもしいるならば
それはそうとしても、あなたには計れないほどの価値があるんですよ!と神様がおっしゃっていますとお伝えしたくなりました。

そういえば、詐欺だったんです。

その後、研修はどうだったの?と思っている方がいるかも?とふと思ったので
おぼえがき程度に触れておきます~。

おかしいな?と思うことがちょいちょいありましたが、
強烈にあらわになりました。

当事者の私よりも同期が怒ってくれるような事態が起きました。

自分の視点で見たら無念な思いが大きかったですが、
後日、落ち着いてから調べてみると研修先の会社は違法に近い。。。
アレもコレも、わ~こういうことだったんだ!と、ある種の錯誤にはめられていたと、わかり勉強になりました。

人を恨むよりは、法で自分を守ること。

それが身に染みました。
チョンミョンソク先生が、全財産をだまし取られた時に神様の心情を悟ったという逸話がありますが(←かなり凝縮した表現)
私にそういう高度な悟りはないですが、先生が教えてくれた「法は自分を守るためにある」とおっしゃっていた一言が心に浮かんできて、ぐるぐる頭の周りをまわって、負の感情よりはこの事態をどうしたら希望的な方向に向かって行けるんだろうか?

と、必死で祈りながら公的機関に出向いたり、色々調べたり
学ぶことが色々ありました。

結論。
神様の法(みことば)と労働法などの雇用関係の法それぞれ駆使されて
助かりました。

なんで、先生は人に騙されても、また人を信じられるんだろう?
私の疑問が少し解かれた。そんなイキサツにもなった神様の真理(みことば)の威力を味わい。
スリルハンパない春でした。