ペニーワイズより怖くヤバイやつ。

怖さが増してるとそこかしこで評されてる。

「Itそれを見たら終わり」の ペニーワイズ。

しかしながら、もっと怖いものを見てるから

あの白目がちの三白眼、狂喜じみた佇まいも道化🤡にしか見えない。

It を凌駕する恐怖とは?

教会通わなくなって数年の妹が、言っていた

👇

言ってることと現実が一致しない衝撃💥をわたしも体験。

ミーティング前に「口をおさめてください」と祈りながら「そんな言い方あるの?!」とツッコまざる得なかったり、  「あれ?礼拝ではこう言っていたのにそうするのは?😅スルーしてない?」

かなり色んなこと任されてる方にそういういうこと目の当たりにしてしまったり

理解できない普通のやり取りがなされなかったりすると(訊いてるのにちゃんとした返答がない。)

一言で言うと、失望。

失望して去る人もいるし、

失望しても何とか、その痛みともなう衝撃を肥やしにして続けて通う人もいるし、

失望して去った。けれども、再び戻る人もいる。

そんな当たり前な自由があるところが教会です。

なので、摂理という宗教団体は怖いところだから脱会させないと!わざわざお金かけ監禁を勧めるほうが経済的にも倫理的にも、憲法的にもそれってどうなの?と思いつつ、されど

ワタシ含め言動が未だに天国ナイズされてない不完全な人はホントは怖い((( ;゚Д゚)))のは事実

普通のやり取りがなされないこと直面するとヤバイ😵💦と思うこともあります。(こちらの都合訊かれずに長くなる話を要されてビックリした )

ある牧会者さんが「教会は不完全な人間が完全になること目指してるコミュニティだから幻滅することなかれ」と言っていたその一言に自身の姿も省みるしかない。

ワタシもあの般若の能面みたいな恐ろしい顔を完全に滅ぼしてるだろうか?

いや、あのようにマジ自分なりの合理化、怖い自分中心のエゴはまだまだある。

その恐ろしさ。冬を感じる風の中、身にしみる。

映画でひとしきりの冒険譚でリフレッシュすること楽しみにしてました過去も懐かしい今はリアルに自分の悪と対峙し戦いまくり、よりよき人になるべく冒険してると実感する年末。

要らないモノの実際は。

草、雑草=いらないものとほとんどの人々が思うはず。
わたしももれなく、雑草は厄介と言うイメージが強かった。

強かった。と過去形なのどうしてか?
「買っていた草(ハーブ)」が、実は「厄介とされていた草」と同一だった。と、知ったことからでした。

知らなければ、そのまま固定概念のままだけれど、知ると無知から抜け出て生活も豊かになる。

それを痛感したのですスギナで。

スギナマイナビ農業より引用

スギナは、ほうれん草と比べると【カルシウム】約150倍、【カリウム】が5倍。
総じて「ミネラルの宝庫」と言われています。

普通に庭や畑で生えているって知るまでは、私は買っていました(*_*)←アホ言われました。

スギナをどう使うか?というと・・・
手軽にお茶として煮出したり、入浴剤として使ったり。
ティンクチャーとしてエキスを抽出させ化粧水にするなどなど。

効能はこちらのサイトに素敵にまとめられています。⇒スギナ茶の淹れ方と効能

知れば「雑草」から「薬草」へ転換。

全ての存在物は、神様が愛で創造された尊いものなのだなぁとあらためて思うしかない。

しかし以前、ツイッターでスギナすごし!とつぶやいたときに「スギナは手ごわい奴で根絶できない雑草です~」というコメントをいただいたことがありました。
お茶でなく入浴剤として使ったらいいのでは?と思ったけれど、そもそも忙しい中、採るのが面倒なのかもしれない。

効能があっても、使うか使わないかはその人それぞれ。
もったいないと思ってしまう私としては、使いたくなる。
摂取に気を付けたほうがいいというほど成分が豊かというのは、薬としての効果があるゆえではないか!?

なので使ってみてさらにその効果を確かめよう!と抽出中です。

私は、確かめたくなる派なんだなぁ。
そう改めて自覚しました(笑)

そして、畑づくりのエキスパートの方が言うには「スギナを活かして土づくりができる」そうです。

一般的に、スギナがたくさん生える土地は痩せている(栄養が少ない土の状態)だそうです。
「草が生えるのはその土地に必要があって生えてくる」そういう考え方からすると
ミネラルの宝庫であるスギナは、その特徴から考えると、土の栄養を一心に集める力を持っているといえるのではないか?と。
その観点で、スギナを刈って枯らして土に戻らせることで土壌の栄養が豊かになるという方法を編み出されています。くわしくはこちら⇒畑の雑草図鑑

一つの草を取り上げてみても、万物って奥が深ーい!とワクワクしながら
神様は天地万物を、人間を愛で創造された。それを実感します。

そして、

疎まれている存在でもありながら、じつは有効・有益な存在であるこの草を見て思うのです。
人もそうだろうなと。


わたしもきっと何か良いところがあるのだ。
そういう希望も湧き出るし、また私がある人物や物事も良く知って行くことで私の誤解だったんだなと気づくこともきっとあるんだろうなと。

愛は、関心から生じる。
という一言が思い出され、深く響きます。