父について祈ったら変わってきたコト。

①白米好きな父が雑穀米も食べるようになった。
健康のために雑穀をと推奨を何度もしたのですが、「白米がウマイ!」と一点バリだったのが
最近、自ら雑穀米をお茶碗に装っている姿を発見。
食わず嫌いだったのかもしれませんが、「体の健康のことを考えて食べ物を選択できますように」と祈っていたことが聴かれた!と感じました。

②ティッシュでちゃんと鼻をかめるようになった。
つい手で拭いて乾燥させてしまうエコな父。
様々、それはやめてくれ~と色々お願いしたけれども、なかなか聞き入れられず・・・。
本人が必要だと感じることが出来るように神様、何かメッセージを父に与えて下さい!と切実に祈ったところ・・・・
ある日、父がティッシュを手にする日が来ました涙。
何があったのか聴いたところ、
信号待ちをしている車の中で、女性が鼻に指を入れてモリモリほじっている姿を目撃したそう。

③手洗いうがいをするようになった(ほぼ冬季限定)。
私が、孫が、具合悪くなったらどうするのか?と問うたところ
この戦法が功を奏しました。
知恵を下さった神様に感謝です。
そして、父は優しい人なのだなと気づきました。

④怒鳴らなくなって来た。
常に話しかけるだけで怒り出すという時が長かったんですが、
怒鳴られる側の気持ちがどんなものかを、全力で伝えてみたところ
少しずつ変わりました。
父の為に祈る様になったら、父を違った視点で見る事ができるようになりました。神様の愛で癒されるべき所が癒されるように。
そんな風に思えるのは、神業だと思いました。

もう話したくない。
一生口きかなくてもいいや。
そう思うところまで行っていたのですが、
チョンミョンソク先生が「生んでくれた恩」「育っててくれた恩」を忘れず親に感謝しなさいとおっしゃり、
先生が本当にご両親を大切にされていた姿が心に残り、
そして、自分のどーしようもないところを神様は御子は赦して下さったのだというその愛で
父に向き合うようになりました。
心のかさぶたがはがれる痛い思いたくさんしましたけれども、
逃げなくてよかった。

向き合えるように力を下さった天に心から感謝します。

それって本当にダメなのだろうか?

私の髪の毛は固くて多くて、くせが強い。という三拍子そろっている。
「長くしたほうが扱いやすいですね。」と、やんわり遠回しに短くしたら大変なことになりますという美容師さんから、「絶対やめたほうがいいです」と言う人まで一様に長くしたほうがイイ
そういう見解をされることが立て続けにあると、そうか自分は短くしたらダメなのか。
と思うようになった。

しかし、ある時、カットに自信がある美容師さんに任せてみたところ
髪の毛のクセ(うねり)を考慮、計算したショートカットになった。

じつは、ただ人に頼んだのではなく、ずっと同じ髪型だとつまらないから、
私の個性に合った髪型を神様が構想してくださり、
聖霊様が感動感化で美容師さんに働きかけて私をより良くプロデュースしてくださいと
お祈りを1週間ほどする条件を立てておいたうえでの結果だった。
切った髪の長さは、50センチ以上。

これを通して思った。

ダメだというのは事象をみての一見解なだけなのだ。
事象にたいして打開する考えと技術があればダメでなくなる。

ダメだという認識は見たままで終えること。

どうしたらいいのか?どうしたらより良くなるのか?を考えて、調べたり、確認したり、行なうことで、ダメでなくなるのだ。研究して、ダメでなくなさせる努力あれば、いくらでも新しくなれるんだなと。

短くなったらなったでいろいろ手入れもまた具体的に必要な日々ではあり、それを通して新しい挑戦というか、自分の考え覆し、作りながら思う。

ダメ・・・という何も生じない無を
良いね!的状態にするには、やっぱり「挑戦」なのだ。
無から有を作り出した英雄チョンミョンソク先生を思い出す。

神様とともに行なって、新しい生き方をする。
それを教えてくださる先生の姿を
少しだけ私の人生で実体的に近く感じることが出来た瞬間だった。

(2016年5月17日Up記事リライト)