非常に頑張っていらっしゃるというか、この人以上に一生懸命な方はいないだろう。
そんな方でさえ、悪く言われたら自尊心から気分悪くて怒っても仕方ないとも思うけれども、そういう怒りではないところがやっぱすごい。
そんな気づきを得たと同時に、「私の前でお姉ちゃんの悪口をいうメンバーがいたんだよ!?どういう神経しているんだろうって思った!!!」とまくしたてられたことが脳裏に浮かんだ。
その時、わたしはどうしたか?というと・・・・
「そういうこともまぁ普通にあるよね。というか、教会のメンバーから、昔から私はとくによく言われたことなんかないよ(笑)面と向かって失礼なこと言われたこともあったし、それは私に心が無いと思うから言えちゃうのかな?と思ったこともあるし、つーかむしろ悪く言われる自分に問題があるって自分でも思うし、っていうか、その人も悪く言っているつもりなくて思ったままのことを言っちゃうタイプなのかもしれないしね。というか先生があれほど確認しなさいって教えてくださっているのに、友達だと思っていたのに、私に確認もせずに、聞いた話まんまをうのみにする人だったって知って超ドン引きしたこともあるよ。」とまったく悪口を言われた当事者である私はなんも痛くもかゆくもなく。。。
私のことをいつも毛嫌いしている風の妹の方がなんか痛手を負っているように見えて不思議だった。
そんな私もむかーしむかし、我を忘れるぐらい憤ったことがある。
それは父に裏切られた時だった。
そして『怒りの根本は悲しみなんだ』となんかの本で読んで妙に納得したっけ。。。
いつも優雅で美しい方の怒髪天な様子を見て、若干(^_^;)戸惑うこと否めなかったけれども、よくよく話を聞いてみると
何がそんなに腹立って辛いのか?というと、自分のことを悪く言われたからというよりは天の心情を考えての憤りだった。
やはり、愛なんだなと思った。
誰よりも一生懸命な方が「許さないっ」と吠えるごとくに憤ったのも、妹が「信じられないッ」と言ったのも
そうか、「愛しているから」なんだなぁと思った。
つまり妹はなんだかんだと言いながらも私のこと嫌いではなかった(嫌いな部分もあるのは事実だろうが)のだなと。
なんだか意外な発見をしたのだった。
というか、私って摂理人(キリスト教福音宣教会の会員メンバー)にたいしてそんなに期待も愛着も無いのかも?
善評してくれる善人的なメンバーに癒されることはたしかにあるけれど、基本的に自分ダメだっていう考えがあるのが根強いからなのかなぁ。。。
というか、褒められたい。愛されたい。的なアダルトチルドレン的な根性が根強いのかなぁ。。。
どっちにしても、やっぱり明日も礼拝に行って神様にそこん所どうしたらよくなりますかね?知恵を与えて下さいと願い求めてくるのが得策だ。
もろもろ愛とか教えてください!とお願いしに行ってきます(笑)
傷つくのが嫌だから、期待していないのか
それとも自分を開発すべき、愛のなさゆえなのか
いずれにしても、天の心に合うのは、
もしかしたら妹なのかもしれない。
私よりもずっと心情的なんだよね彼女。
そんなことを思い出した土曜日。