褒めることのむずかしさ。

ときどき「やまなしから良く通っているね」と褒められることがある。

というか、呆れられていることもあるけれど(^_^;)

自分にとって必要不可欠で、その価値があるから通っているだけで、
なにも褒められることはないのです。
なーんて心の底から言えるのはわりと最近かもしれません。

普通に自問自答しちゃっていましたよ。
「ほんとにここに時間とお金出してもいいのかな?(移動の労力など考えると^_^;)」と。

でも、人が決めることでもなく自分が決めて選べることなので
いつもその自問自答の根本は

「どう生きたいか?」というものでして
自分が確かめるしかないのですよね。

なので確かめた結果、これでいいんだ。
というかこれがいい。
そう確信出来たから今に至っているだけなのでした。

というわけで、私に「教会にわざわざ山梨から通っていてすごいね」というのは褒め言葉ではないのです。

むしろ「やっぱその価値あるよね!」と言ってもらえるほうが嬉しい。

そう気づいた時に思いました。
褒めるってむずかしいなと。

あぁやっぱり好きなんだと自覚した。

週に多くて4回、会えるけれどいつも遠い感じ。

趣味も年代も違う。

どこが、好きなんだろう。

具体的に🙄考えると🤔

😑気のせいなのかな。

そんなこと一瞬思っちゃうことあることも無いようなあるような…

そんな思いがよぎりつつ画面を眺めてると

「行事のときに、雨が降ったら

『あぁ、これは神様の御心(計画)ではないのか』そう思ったりするかもしれませんが、そうではないんです。

必ずすべきことは、する。

それが御心なんです。」

雨でぬかるんだグランドの水溜まりをスポンジで吸いとらせて、砂を撒いて整備して終わらせない姿。

誰かに指示してさせるんではなくて、率先しておこないつつ

「神様に栄光を帰するとはこう言うことなんです。」

その一言が、格好つけずに格好いい。

総会長牧師殿と言ったらメチャクチャ遠い感じですが、

人生の閉塞感は自分の考えから生じるんだ。

ってことを気づかせてくれながら

突破口も開けてくれる。

神様を信じ生きるってどういうことか?

をあまりに自然かつ、鮮烈に教えてくれる

チョンミョンソク牧師

やっぱ好きだなあ。

そう思いました。