電車乗る時に、何気なく後から来た人に横入りされるとき、ふと思うこと。

いや、いいんですけれどね。
私座り仕事なので、まったくもって立っている時間少ないですし、中年といわれる年ではありますが「まだ若いから」といわれることがまだありますし、というか大体において私の前に入られる方はお年を召した、いわゆるご高齢と思われるので、とがめることなど致そうなど、あるわけがございません。

しかしながら、しかしながら、しかしながらです、

さも当然かのようなその素振りに、正直モヤッとした心持ちが生じるのは否めず。
どうしたらいいのか。毎度、横入りの所業に遭遇するとこのモヤッとをどのように対処すればよいのか思い悩ませるのですが、
いやこれは私の考えすぎで、ほんとに私のことが見えていない(年を取ると視界が狭まるそうなので)ゆえの行動で私が勝手にモヤッとしているだけなのでは?という考えで思い直そうとしました。
しかし、、、この方に続け。といわんばかりに私を差し置いて電車に乗り込まれていく50代後半初老風の男性と寒いけれども制服ミニ丈の女の子。

もしかして今、

わたし透明人間なのではッ?!

と、混乱と錯覚に陥るほどの無視っぷり。
というか山梨なので、コロナ渦なので、いつも以上に電車に乗る人なんて少ないんで、
横入りなどしなくても至って普通に席に座れる次第なのですが。。。それでも早く座りたいのね皆さん。

みんな疲れていて「誰か」のココロなんて考える余裕も余地もなく、居るのだろうか。

モヤッとした感情がとぐろ状にわたしを拘束していくのを感じる最中。。。

こういうとき、あの人ならばどうするんだろうか。

そう自問自答しました。

チョンミョンソク牧師ならば、どうするんだろうかねと。

私は、憤慨と悲しさでやられそうになっていくが、きっとそうじゃないだろうな。

どんだけ、無視されても、どんだけ馬鹿にされても、どんだけ傷つけられても、
人を傷つけようとしなかったし、今も「最後まで命を愛しなさい」といっているような人だから。

私には、それがどういう意味で、どうしたら愛せるのか。分かっていないんだな。。。
自分の思いから抜け出せなくて、自分の考えに縛られて怒り、悲しみにがんじがらめにやられやすいんだなぁ。
と自分の足りなさを目の当たりにしました。

単に、横入りされただけのことなんですけれどね、、、
そして、そういう扱いはどこ行っても昔からなので、まぁいわゆる舐められやすい(おとなしそうに見えると大多数の方によく言われる)たぶん私のせいなんでしょうけれど、ゆえに以前ならばモヤッとどころか激しい怒りに火を付いたものでした。
今だって、高齢者は置いておいても、若者に一言「あの、それどうなんすかね?」とうっかり、物申しそうになりましたし。。。しかし、おそらく私のハナシなど受け止めることなどなく、むしろ電車内もワタシも激しく嫌なオモイで満ちみちていくであろうが予想されるとともに、やっぱチョンミョンソク牧師だったらそういうことしないだろうな。という気づきが私をとどめました。

自分の思いを置いておいて、我慢せずに平和を成すって地味にむずかしい。

こういうちっちゃなことだからこそ、それがいたく染みる瞬間。
かつ、かの人をもっと研究していけば愛って具体的により分かるんだろうなとおもいました。

 

霜柱っていったら鬼滅を思うだろうな。

3か月間、ほぼ電車通勤だったので駅まで朝25分ほど走ることが日課として定着したため、脚力も肺活量も向上したので
例年年末年始は寒さで動きたくないと思うところ、寒い空気の中を走るのが心地よく感じられるようになったこの感覚を持続させたい!!と毎日ゆるランニングをしています。

毎年、この時期は小川の表面が凍ったり、近くの山から雪が舞って来たりと冬の氷点下の風物詩を感じるのですが、
今年はそれが見当たらず。何より、霜柱が生じそうなところみてもまったくない!!ことに気づきました。
SDGsのきっかけの一つとなっている気候変動、地球温暖化をひしひしと感じております。。。

小学生のころは、朝の登校時に霜柱を踏みながら行くのがささやかな楽しみでした。
がしかし、今年のようにまだ霜柱を見たことがない場合、現小学一年生の子たちに「霜柱が」なんて言ったら、おそらく「え?そんな柱いたっけ?」と、きっと思うだろうに違いない。

そこかしこで、なぜ鬼滅の刃がここまでヒットしたのか?と考察本が出ていたり、
「うちの息子、朝『俺は俺の責務を全うするッ!!小学校へ行くッッ!!!』って言って奥義煉獄を私に繰り出してから登校するの。ほんと可愛いわよね」と息子愛をだだ洩れさせるお母さまがいたり、「どうしたら炭次郎のような心のきれいな子供に育てられるのか目下研究中です」と子育ての参考にされるママさんもいたりほんと経済効果だけでなく、様々な世代に影響を与えている稀有な作品。

うちの母までも「一生懸命でいいよね。妹思いで。」と胸を熱くさせているのを見たので、これは私も押さえてみなければと思ってダイジェスト版を見る機会を得て、母と映画を見に行ってみたところ。。。
人気とその魅力の秘訣が理解できました。
大きいポイントとしては炭次郎はメシヤの品性・人格を持っているからなんだなぁと。

仲間思い、家族思い、だけでなく、他人のだれにでも善意と慈しみをもって接する愛の権化みたいなところ。
心の清さと、善良さで病んでいる人の心を癒してしまうところ。
鬼でさえ、鬼の持っている痛みや悲しみを感じ取って憐れむ優しさ。
これってイエス様じゃん。って思って、心がキューンとなりました。

母に、イエス様の愛を炭次郎から感じたことを伝えたら
そうか、イエス様ってそういう方なんだ。と分かりやすいイメージが得られた様子。

中断したままになっているバイブルスタディ再開していく契機になったらよいなあと思う今日この頃です。