地味ですが・・・。

味わい深い楽しさです。

さやえんどうの収穫。

時々、いもむし君とかに遭遇しつつ黙々と摘み取ります。

水遣りは結構アバウトでも育ってくれるようです。
採れ始めると、これでもかッと怒涛のごとく毎日さやえんどう君がレギュラーで食卓に登場してくれるんですが5月も末になると
また来年ね~と別れを告げられる今日この頃。

時の流れと、あっという間の刹那を体感しながら
旬のモノを頂けることに感謝しています。

東京暮らしをしたときに、土の匂いがする野菜ってじつは貴重だったんだと
その価値を知りました。

失う前に価値を知りたい。
そう思うことが人生に何度かあったんですけれど、
ここ摂理に来てから教えてもらったコトのひとつ。。。

使ってみたら価値がわかる。

これまたシンプルな方法でありながらむずかしいのが

「使い方」

なぜなら私は自分の価値をマイナスで捉えている人でした。

使いようがない自分をどうせよと?と本気で思ってました。

今もまだまだ自己肯定感が低いですけれど、できないことを出来るようにする。という、これまた地道な地味な訓練を何度もいろんな場所で挑戦してみる機会を天からもらって、なんもできなかった自分がイロイロな人たちや環境通して助けて頂きながら、存在するってこういうことなんだねと、ようやく0ポイントにほふく前進で到達した感じ。

 

そんなわけで、まだ目が開かれていない知るべき価値について、あすも励もうと思います。

知ることが希望。

洗脳されたハナシ。

今日の読売新聞、朝刊一面記事は「自殺相談SNS設置3割」全国の約3割の31の自治体でSNSによる若者の自殺相談の取り組みがされつつあるという内容だった。

連載の「命の葛藤」(31面)を合わせて読むと日本の深刻な社会問題として朝から思うことがイロイロある。

私も10代のほとんどを死ぬこと考えていたから。

未成年の自殺者数が未だに多いことや、座間市の事件の経緯を訊いて他人事ではない気持ちになる。。。

三十路の半ばもなった今日は、

生きるコトについて

どうしたら後悔しない生き方を生き通せるか?

毎日考えている。

それは、

生きる意味を

生きる目的を根本から知りたくて

キリスト教の教会巡りをして、

諦めて死ぬ直前に

死ぬことを選ぶ前に

イチかバチか

キリスト教福音宣教会-摂理で学ぶようになったから。

「死ぬこと」が人生の幕引きという考えている頭が染まっていた私が180度転換したのは洗脳ならば。

それでも良いと思うのだった。