たしかに成されたこと。

冬の大地の様な凍った心に、春の様な日差しのように心に響くことば。
「もう大丈夫。あなたは一人ではない。」

摂理で御言葉を聴いて、雪解けの様な温かい涙を知るようになった。

主は氷をパンくずのように投げうたれる。
だれがその寒さに耐えることができましょうか。
御言葉を遣わされれば、それは溶け
息を吹きかけられれば、流れる水となる。

詩篇/ 147篇 17節~18節

22年前、こんな本がどうして聖書なんだろうかと思った
旧約聖書の御言葉を実感する日が来るとは夢にも思わなかった。

時を超えて、人の心をつかむ神様の御言葉。
生きている神様を感じるから、今日も御言葉で呼吸をするように生きたい。

蒔いてこそ刈り取る。

私の家の近くには水田が多い。
秋の始まりを告げる風は稲穂の香りだ。

八月の半ばには穂が出始めて、九月には黄金色に色づき始める。

そろそろ刈り取るしかない色合いになってきたなとランニングしながら思う。

聖書には

「間違ってはいけない、神は侮られるような方ではない。
人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」

とある。(ガラテヤ人への手紙6章7節)

仏教用語では自業自得。
四字熟語では、因果応報。

さぁ私は何を蒔いたか気が引き締まる秋。

そして、人生についてもこのようにこうだ。

自分の責任をいい意味で見据える機会となる今週の御言葉。

もっと得るべきものを得るように、怠慢さから抜け出すために叱咤激励に感謝。

普通じゃない信仰っていうものついて考えようと思った。