仕事で、自分が反省すべきことがあった。
その点をもって、全部私側の問題だと先方から言われたのだが
実際、相手(お客さま側)にも責任分担が果たされていないところがあったので、
納得しかねる思いがどうしても、ぬぐいきれずにいた。。。
立場上、すぐ謝罪をしたのだが、
相手の責任が果たされていないところまで私がなぜ謝るのかが不条理感を感じてしまい、真心がこめられていない謝罪で
自分も気分が悪く、相手も気を悪くされていた。

心がモヤモヤとして気持ち悪く、どうしたらすっきりするのか?をずーっと考えていた。。。

冷静に振り返ってみると
自分のすべきことが分かっていないので、全部それを分かって指示してほしいというスタンスの方だったということ。
私からすると、「当たり前」な手順・操作も
その方にとっては「必要」な操作だとさえ分かっていない状態だったのだなぁとわかった。

相手の心情を理解はできるようになったので、
もっとより相手の状況・視点に立った対応をすべきだと見えてきた。
が、それでも心がすっきりしない・・・。

まだ、相手のことをどこかで責めたり、理解しない心があるのだろうか・・・そう思っているとき
ふと、摂理メンバーのブログ新着記事を見た。

「人は霊のために生きる存在なのだ」という内容。

そうだ!すべてのことは、霊的に説いてこそ意味があるんじゃん!

お客さんとのやり取りを、神様と自分に置き換えた時、
私が御言葉を聴く時に、自分の考えがある中で聴いていると、聞き逃して掴むべき核を逃すことになるんだ。
とわかった。

全てのことは、神様と自分という関係で見て行く時に意味・メッセージが見えてくる。問題が解けていく。

私の考えから抜け出して、相手の考えを全部受け取るような心の準備・姿勢がなかった。ということが分かった。
天に対しても、こういうことをしている。と、言うことを気づかせてもらった。

御言葉を聴く時は、天の心情・考えを受ける時。
その時に、自分の考えがあると、心情を受け取りようがない。。。
最近、何かぼんやりしているところがあるな~と
感じるところがあったので、これだ!!!とわかってスッキリ。

や~すっきりしたのでうれしく。
そして、仕事にも信仰的にも次の次元に行けそうで万々歳。
明日の御言葉を聴くときに、もっと自分の考えを除いて受け取れるように
集中力のギアをグッと気合いれよ~(✌'w'✌)