一人暮らしだった部屋の契約期間が切れる時期と、ご近所でルームシェアをしていたメンバーたちの部屋に空きができた時期がちょうど重なるという事から始まった共同生活。
メンバーと一緒に暮らした約3年間、いろんなものをもらいました。
わたしは人を避けて生きようと思っていたので、メンバーとのルームシェアから得た物は人生の宝です。

 

①信仰生活でのもがきは誰にでもあるということを知った。
自分だけではなく、先輩にもあるんだ~と知ることが出来て良かったです。
個性的にも光を放って活躍されていて、あこがれの様な存在だったので、もがきがあるなんて思いもよらず。。。明け方上手く祈れない。起きれない。等々もがきが皆、あるんだな~と、繰り返し挑戦することで成長するんだな~とリアルに分かって、よかったです。
私ストイック系な人らしく、出来ない自分を打ってしまうところがあるんですが
自分で自分を打つんじゃなくて、「出来ないんですけれど~もっと頑張ります^^」と、神様に愛で進み出て行く姿とか学ばせてもらいました。

 

②自分にはないセンスを学ばせてもらった。
朝から、夜まで面白いことをナチュラルに話す方々と暮らせたことで、明るくなりました。
最初、互いに個性が違うことで緊張するところがあったと思いますが、私の個性もおおらかに受け止めて下さり、いじってくださり、本当に面白い生活を送れました。
当初、笑わない子で有名かつ、どう接したらいいのかメンバーでさえ困らせるところがあった私が、今のように笑えるようになったり、冗談をふつうに言えるようになったのは、お二人のおかげだと思います。
ちょっと大変だな~という事があっても笑いに変換できるワザを学べてよかったです。

 

③お母さんがご飯作ってくれることが、どれくらい有り難く、また愛だったのかが分かった
当時、残業もなく定時で上がれるかつ、自転車通勤だったので安い八百屋に立ち寄りながら、夕飯作っていました。
お母さんと同じことをやってみて、どんな思いで作ってくれていたのか、それがわかったことが大きな収穫でした。

母が家に仕事を持ち帰るくらい忙しくても、朝ごはんもお弁当も欠かさずに作ってくれていた事。
寝坊してご飯食べられずに出かけようとする私に、おなかすかないように、おにぎりを持たせてくれたのは、どんな心だったのか。
ただ、してもらっていただけのその時は、感謝する心はあったとしても、母の思いが全く分からなかったのです。

話すのが苦手という母はあまり自分の思い等話すことをしない人だったり、
また、とても忙しい仕事をしていたので、私の話を聞くこともなく、対話らしい対話をしたことが無かったりで
母に対してさびしく思ったり、冷たいなと思ってしまっていた事がありました。

しかし、実際に自分が同じようにして見た時、
大変なことが会社でも家庭でもあったのに、ご飯作ってくれるということがどのくらいの思いがあってできる事なのか、
母の偉大さと愛をはっきりと分かることが出来ました。

これは友達と暮らしたからではなくて、信仰における家族のようなメンバーとの共同生活だったから、悟れたんだと思います。

いろんな神様の導きがありますが、経緯が愛。だと改めて思いました。

※ちなみに摂理では、一人暮らしの方もふつーにいます~。
共同生活したくない人はしないです。
ちょっと興味があるかもという人は、(日本摂理全部の教会回った事がないのでわかりませんが、)
お祈りしながら、神様の導きがあるかどうか確認しながらがら、各人自分で選択しているのではないかと。

チャレンジして、学ぶこと・得る物は神様が下さるプレゼントだと、わたしはそう思います。