キリスト教福音宣教会(通称、摂理)のおもしろいところは、数年単位でかなり変わることだ。それもいい方向に。
今から15年くらい前は、私の両親が教会の行事(スキー合宿やクリスマス礼拝、ひいては聖霊運動)に参加すると
けっこうな頻度でえ?!すごいですねと言われていた。
でも、いまはご両親ともに同じ教会に通っています。とか、家族全員が信徒です。とか、お寺さんとお別れして改宗しました。とか、結構みなさん日本ではめずらしい人生を送られている方々に私はここ5年くらいでよく見かける。
私からみると、親御さんからすると誇らしくなるような素敵な娘息子さんたちで、素敵なご家族だなあと思うことが多い。
私も私の両親も、残念なことが多いから、肩身が狭い。。。
しかし、そんなわたしでも、拍子抜けだったのが、
「生きている」ということが一番親にとって嬉しいことだと言われたことだ。
私が死んだらせめて保険金があれば、プラスだと思えるんじゃないかと言ったら、母は私の生命保険を解約してしまった。
自分がいて、良かったと思えない。
その苦しさばかりで、私は地上の親も、天の親も悲しませて来ただろうと思う。
どうしたら、良く生きることが出来るのか?そんなことをまだ自問自答しているあたり中年のくせに青いなと言われるかもしれないが、死ぬことを考えるよりずっと健康的というか建設的だろう。
だから、私の両親は教会に通うことを、全く止めたことがない。
というか、教会行事に参加すると、なんだか人がいい人たちばかりで良かったねと。安心するらしい。
最近はめっきりそういう機会はないけれども、
ときどき母は元気かと訊かれたよ~というと、なんだか嬉しそうだ。
最近はいろんな教会で楽しい企画、行事があるから参加出来るときに参加してみるといいと思う。
合う合わないということもあるけれど、おもったよりなんだか喜楽なところかもしれない。
とかんじるのではと。
母も父もそれぞれ一様にいう「笑うようになったのが本当に良かった」と。
私が思う以上に、私がよりよく生きることを願ってくれるのかもしれない。
私は親になりたいとも、なろうとも思えないし、全く思わないくらい自分で手いっぱいだ。
だから、親の心は一生、永遠に分からない。
けれども、親孝行をしなさい。
永遠に後悔しないように、親を大事にしなさい。
そう、毎年必ずと言って良いほど話されるチョンミョンソク牧師の影響を受けて
こんな親不孝者も、死ぬまでには親孝行をもっとできるようになりたい。
なろうと思う。
私は、先生のようにはできないけれども、先生の心意気に感化はされている。
だから、たぶん親孝行の部類に
入って行けると思う。きっと。