タイトルのツラノカワ厚子とは、私の実の妹(三十路半ば)のことであり、彼女は20代の半ばころ数年(たぶん、5年くらい)摂理の教会に在籍していたことがある人物です。

なぜ、ツラノカワ厚子なのか?というと、今年の「元旦から5日までともだちといっしょに家に泊まりたい。」という打診が去年の暮れごろに母に連絡があったのですが、帰ってくる日の前日、つまり大みそかに
「実は友達というのは男で、結婚を考えている。どんな人が見てほしい。」という話を、何の前触れもなく、ぶっこんできたことが発端です。

みなさん、元旦、正月の時期に友達を連れて来る。しかも、泊めてくれ。という家族がいたらどう思いますか?

私は、正直負担です。
5日間って、なにゆえに?つーか、学生でもないのにどうして?無職なのか?
何か理由があるのか?と思っていたので、大みそかに「実は結婚相手でした~」という話を聞いたときには、
やっぱりねッッッ!!!と、思いました。

そして、同時に、妹の感覚を疑いました。
両親の心情、迎えなければならないこちら側の心情とうとう、考えてねーなコイツと。
そして、結婚が決まっているわけでもなく、「考えている~」と程度の人をなぜ、うちに5日間も泊まるのか?
なにか非常に重要なことがあるのだろうか?

というか、今まで妹が帰省するたびに迷惑を掛けられてきた(台所や食卓を占拠するため、私は外食か断食になりがち。なぜかいうと、わけわからない口論になり、非常に、疲れる&両親が辟易する。ために、私が避けるしかない)しかし、正月に、5日間。
日数を減らせないかと訊いてみたりもしたのですが、やはり変わらず。

結局、妹らは来たんです。
そして、言わなければ分からないという、ことだろうということで、台所は私も使うから時間をずらすこと。100歳の祖母もいるし、感染症が大変蔓延している東京からくる二人は、居間だけ使うとか、考慮してくれと。(言わないと、誰も気にしないので、言いました。)

分かった。ということで、当日を迎えました。
守られるかなあーというと、そんな難しいことではないはずですが、むずかしかったようです。というか、考えられないということに尽きるようで、

5日間も泊まる、という豪胆さを持ちながら、私が台所にいたときに、妹の連れが台所の扉を開けたんですが、何も言わずに閉めた。これが、初対面の現場でした。はい、笑うしかない。

私は新年初頭から初苦笑いしながら思わずキモイというあまりよくない言葉が出てきてしまう。そんな元旦になったんですけれども、

挨拶がちゃんと出来ないヘンな人が来てしまった。
ということに、両親はそれぞれ動揺しているらしく私の気持ちはわかるが、どうしようもない。諦観に似た表情をしており、

どういうことーコレーッと新年、そうそう心から叫ぶことになりました。

そんな私を傍目に、父は苦渋の顔でうつむき、静かに涙を流していました。
どうやら、妹がこんなことになっているのは、自分のせいだ。
と、自責の念に駆られているようでした。

というのは、父は話すのが苦手。ということで、家族でどっかにいってもタブレットゲームに興じることを優先するような人でして、タブレットがなければ、そこの場にある新聞とか、読むものがなければ、どっかをうろうろするとか、とにかく対話とかしないんです。そして、そういう父に「せっかくだから、話したりとかさ」と、そんなことを妹が言っていたのは、あれはたぶんまだ教会に通っていた時のような気がします。。。。遠き日過ぎて、うろ覚え。ともかく、父は、その時のことや、今に至るまでのことを走馬灯のように思い出して、あの時もっとちゃんと話していれば、もっとちゃんとしたやり取りの上で、連れて来るようになったのではないだろうか。とか、
もっとちゃんとした挨拶や会話ができるというか、社会性がある人(なんで学生みたいな三十路男を連れてくるしかないのか?という思いは私はだけではなかった、)と付き合えなかったのかとか、いろいろ思っているんだろうなぁーと、伺えました。が、そんな父の男泣きを見ながら、デジャヴを感じました。

あれ、これってチョンミョンソク牧師が、問題を起こす信徒がいたときの「私がもっとちゃんと教えていれば、」と、代わりに悔い改める祈りをしている姿を見た人視点と重なりました。

うちの父に関しては、確かに妹ともっと話していれば変わった可能性があり、チョンミョンソク牧師はこれでもかと、丁寧に、繰り返し教えてくださる方なので、いや、むしろそれは先生は関係ないというか、その人の自己責任というか、だよね?と思わざる得ないので、ダブらせるのは非常に申し訳ないのですが、妹の強硬かつ狂行のような有様は、私からすると、親の育て方がどうこうというよりは、何らかの精神疾患が絡んでいるような気がするしかない。と、思ったのと、同時に「親泣かせるようなことすんなよゴラァいい年してぇぇええーーーーーッ」と怒髪天でした。

ほんとにつくづく私には愛がないなと思いましたが、そのせいか、その時に親の愛ってすごいな。と思ったのと同時に、「あぁ、チョンミョンソク牧師は、信徒たちのことを子供のように、思っているから、そういうお祈りを、上っ面でないから涙で祈るんだなぁ」となんか、実感が湧くような納得ができたのでした。