今から17年くらい前、何歳か上の人が「ホントに無罪ならば逃げないはず」だと「海外を逃げ回っている」と、言っているのをその当時、まだ神様の愛もイエス様が伝えたかった救いについても自分に結び付くには、まだ遠い感じがしていたころだったけれども、それは違うと、異を唱えたい思いを抱えたものだった。
具体的になぜそうではない。と、反論出来なくて、そんな自分に歯がゆさというか、やるせなさばかり感じるしかなかった。
今は、はっきり言える。
あの時、現地マフィア?ヤクザ?に付け狙われても、食べ物もなくても恨まず、ひたすら神様を呼び求めながら、真理と愛とは。と、伝えてくれたその言葉と姿が、憎しみ憤りとは無縁なその笑顔が、目には見えない神様を見えるように教えてくれた。それが、文字どおり、命懸けだから。
生きるより、死ぬことのほうがいいのではないかとばかり考える私には、たしかな光となったこと。
今私が生きているのは、
死ぬことばかり考えなくなったのは、
ニゲテルなんて言われようが、誰よりも命について向き合っている、ひたむきなその総てによります。と。
こうなるから、そうするしかなかったんだ。と、
そう事実を伝えたい。