最近、というか今年、いろいろな縁で50歳前後のお姉さん(いわゆるアラフィフ)と話す機会があります。
おしごと、結婚、子育て、さまざまな経験を経てまた自分の人生をあたらしくどうしようか?と思っている方々のハナシの中で、印象的だったのは「自分の良くないところを直せるように言ってくれるってありがたい!」そういう思いを持っていらっしゃるところでした。
「この年になると、良くないところがあっても、普通に流されんのよね。直すようにハッキリ言ってくれるのはほんとありがたい。」
摂理の教会のメンバーではないです。
今週もまた別の場所で、また別の方が「自分の心の汚い所とか、はっきり教えてほしい」と仰っているアラフィフの方に会いました。
お二人に共通しているのは、自分の持っている力をもっと出し切りたい!と思っているところです。
ふと、メンバーのお母さんがここで聖書学んでスッキリした!残りの人生不安もなくなったワ。とおっしゃっていたことが思い出されて、
点と点がつながる感じがしました。
正直、自分の良くないところ(いわゆる粗アラ)と向き合うのは、しんどいこともあります。がしかし、どうしたいのか?という自分の意思がはっきりしているならば、汚くなるよりは、ずっときれいになるはずです。
自分の良くないところを直視することに座り込みたくなる思いがよぎりそうなところがあったのですが、人生の先輩たちのステキコメントから「どうせ生きるなら、よりよく生きたい!」初心に立ち返るよう、背中を押してもらったかんじです。
やはり人と人の出会いって神様の計らないだなぁ😊