家族を思う時、そんなことを考えることがありました。
今もまだ解決できていない部分があるとしても、しかし昔と比べて、笑えることが出来るようになったのは、「かなり、すごいことだ!」と過去の私が言っている気がします。
生んでもらった恩、育ててもらった恩があっても素直に感謝できなかったヒドイ時期が私にはありました。
結局、長い時間かけて色々なことが整理されてきて、感謝出来るようになってきました。
最近思うことは、
私が年を取った分、両親もやはり年を取ったわけで、
いつかは介護する身、介護される身になるのかもしれないなぁ。
今日こうやって何気なく過ごしたことが、後では奇跡みたいに思う時が来るかもしれないんだなぁ。
カゲロウのような、セミのような一生が迫ってくる時を感じました。
人生は、一瞬の時が集まっているんだな。そう思うのと同時に、むなしさよりは平安さがあることに気づきました。
いつかはなくなる肉体。人生って何のためにあるのか?を完全に教えてもらったからだなと改めて思いました。
両親のことも、自分のことも、神様はまるごと大事に想って下さっているその大きな懐を感じて、感謝が沸いてきます。
根本は愛。その神様の愛について、明日の礼拝でもまた知れることがホントに幸せだ。そう噛み締めました。
この記事を書いたブロガー
- 生まれも育ちも山梨。東京へ通いながら摂理のバイブルスタディを学び、意を決して上京した後、教会がない山梨で生活している平信徒アラフォー。中高短大山梨英和卒業。
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