「衆議院議員総選挙」だけでなく

「最高裁判所裁判官国民審査」

が並行して行われていることご存じでしょうか。

最高裁判所裁判官としてふさわしく無いと思われる人に×をつけて退官させる審議にかけることができるという権利。。。
わたしは恥ずかしながら初めて知りました。
期日前投票に行ってきたのですが・・・・。

「絶望の裁判所 瀬木比呂志著 講談社現代新書」が非常に審査を審査らしくしてくれる
お助本でありました。

公正と義があるべき裁判所がそうではない
「絶望の裁判所」と、目を見張るようなタイトルをつけるだけあって
出世だけを考えて生きている人達が大半(8割~9割)なのだとあらわにされています。。。

学者仲間やジャーナリストと話していると、「裁判官になった以上出世のことなど気にせず、生涯一裁判官で転勤を繰り返していても構わないはずじゃないですか?どうしてみんなそんなに出世にこだわるんですか?」といった言葉を聞くことが時々ある。「ああ、外部の人には、そういうことが分からないんだ」と思い知らされるのがこうした発言である。
「絶望の裁判所 瀬木比呂志著」より引用

裁判官は全国を転勤しながら、また、外界と隔絶する「小世界」=裁判所だけに存在するようになっている上に、
常に成績・業績をあらわにされるため、自然にラットレース的な出世競争が成り立っているのだそうです・・・。

裁判官になるのはそもそも各大学の成績優秀者といって過言でない人達ゆえに
プライドがあり、このレースはごく自然に夢中になる。。。
また、裁判官の人事をつかさどる事務総局は「気に入らない判決」「研究」「行動」をする裁判官に見せしめを行うとのこと・・・・

「裁判官たちは、常に、ヒラメのようにそちらの方向ばかりを伺いながら裁判をすることになる。
当然のことながら、結論の適正さや当事者の権利などは二の次になる。」とありました。(-_-;)

ほかにも、瀬木さんが具体的に最高裁判官の人物像をA~Dタイプ別にあげて割合も述べてくれているのですが
国民審査にとても有効な情報が満載ではと個人的に思いました。

ご自身を学者と評しているだけあり、論文的に問題点を如実に語られている本ですが、
「絶望」してしまっている語り口だけに、その視点で公報を読むと
疑心暗鬼で全員に×つけたくなる気持ちも若干、湧いてきましたが(^_^;)
最高裁判所の判事としてどのように職務に当たろうとしているのか、ご本人の公言と実績を照らし合わせて
審査する機会になりよかったです。

医者ならば、セカンドオピニオンなどより新たに医者を探せます。
弁護士も、より良い弁護士をと、探すことが可能ですが・・・
もし、自分が裁判の原告なり被告になりえた時、より良い裁判官・検察を求めること(チェンジ)は出来ません。。。

職業肩書きは立派でも、人格・人の痛みを分かろうとする心があるのかは裁判官それぞれであり、
それがあってしかるべき「裁判所」なのに、そうではない現状だと瀬木さんは嘆きつつも
変革の鍵を国民に投げかけています。。。。

日本では法曹一元制度を実現することなど不可能だ、
日本の無知な民衆には「お上」が面倒を見てあげるキャリアシステムこそがお似合いなのだ、と訳知り顔で語る人が、
多分、あなたの前に何人も現れることだろう。
その時には、ディランのこの言葉を、そっと口ずさんでほしい。
なぜなら、あなたも、私も、およそ人間というものは、不可能を可能にするためにこそ生まれて来たのではないかと、
私は考えているからである。

「絶望の裁判所 瀬木比呂志著」より引用

知ることの必然性、考えることの必要性
後悔未練なく生きるためにはどう生きるべきのか?
摂理で真理を実体的に学んできましたが、
ほんとうに、無知のままだと恐ろしい。
裁判所・裁判官の実情を知って改めて、無知のままでいる怖さを痛感しました。