今日の主日の説教で

<霊を考えて生きる人の生>はどんな生でしょうか?

やはり喩えを使ってひとことで話します。

穀物の種をもって毎年労苦し、努力して農作をし、農作したものを収穫して食べて生きる人と同じです。

このひとことを聴いて、
地に足付いているこの一言
やっぱり本物だ!!!と思った。

毎年、種まきと収穫を体験している私としては、これがどれほど労力が要る事なのか若干わかるので
この繰り返しが心底、苦痛だった時がある。

農作業は単調だ。
同じことの繰り返し。
でも、手を抜くと雑草にやられるし
たゆまない努力があるときに、その分得るモノもある。
山梨県出身のノーベル平和賞を受賞した大村博士も農作業をする中で、研究に必要な体質を培えたとコメントされているのを見たことがあるが、大成をする方は、やはり掴むものが違うなと思う。

人生、労苦と努力なしに、成功も完成もない。

わたしはお手伝い程度の労働・作業だけれど、チョンミョンソク先生は農作業しなければ生活が立ち行かないというか
生きるために全力で働いて、でも食べるものは麦ごはんとコチュジャンを付けたニンニクだけだった時があったと聴いたことがある。
むしろ、ここまで働いてもこのくらいなのかと、茫然とすることがあったと聴いた。
どれほど、人生の意味と目的について考えただろうか。

その心身の辛さ如何ばかりか、考えて、少なからず感じるものがあり・・・・

労苦も努力も全部が甲斐になる
答えを下さった神様と共に生きている先生のリアルさを感じて
本当に再び目が覚めたのであった。