神様とのつながり、感覚が衰えるというか、かんばしくない時を調子が良くないという言い回しをするのは、日本摂理あるあるな気がしますが私はこの調子がよくないと言う曖昧な言葉が、苦手というかスゲー嫌いかもしれません。

だって、初めから神様と近くないから、絶壁を這い上がるようなもんですから。調子悪いとか、良いとか、なくないですか?そんな風に想うのですが、もしかすると、また良いときが来るさという意味で「調子が悪い」と言う表現がでてくるのかもしれないですね。

どちらにしても私は辛いなと思うときは

結局、自分の考えからくると分かったので

調子が悪いというよりは、具合悪い理由となる原因が表出している時だ。今が手術の時だと、言い聞かせてます。

たとえば

神様が下さった自由意志は愛ゆえというという真理を自分の考えでは理解できなくて教えてくれた講師さんや、牧師さんに申し訳ない上に、やはり自分は考えが汚くて、みなさんみたいに清くないからなのだなあと落胆、疎外感が顔出してくると

そうだよ、あんたは神様から喜ばれるところ何もないよと言う考えももれなく付いてくるという、負の連鎖反応があるのですが、

これに対する対処は

100匹いる羊の群れから1匹いなくなった失われた羊が見つかる喜びが天にあるよとイエス様のたとえ話の観点で自分をなだめながら、分からないことは、ヤッパ悩むよりは人知を超えた神様に教えてくれと祈るべきだとそこに立ち返ることだと、何回もドロ沼的アホな時間経験してわかりました。

ぐだぐだ考えるよりは、結局祈るしかないや。

神様に訊けば必ず答えてくれるよとおっしゃる

何千回挑戦されたチョンミョンソク先生考えるとやってみるしかなく、

そして、やってみて人知超えた神様を知るときに

参りました!!!

という晴天の霹靂的爽快痛快な喜びが、あるのを知ったので

じっと対峙し祈りつつほふく前進的に参ります。