有名な摂理ブロガーさんであるLunaさんの「摂理を脱会したけれど戻って来たい人達へー約10か月ぶりに行ったジムで悟ったこと」をたまたま読む機会があり、そーだよね~😔😣😑といろいろ感じることがありました。

私の妹は、1年以上、キリスト教福音宣教会(摂理)の教会に通っていません。
彼女が連絡を絶ったようです。

一時、私を避けている様子があったので、もしや?と思っていましたが(^_^;)

久々に会った時、意を決して「そういえば、最近教会どんなかんじ?」って訊いたところ、「もう行っていない」という返事でした。

そんなものです。

脱会しないと!と頑張る必要もないものなんです。

摂理から脱会!脱会!と脱会に躍起になっている方々がまだご健在であるらしいと、ちょっと前に小耳に挟むことがありました。犯罪集団に洗脳されるということが事実ならば、脱会のために監禁するよりは、まず警察を呼ぶはず、しかし事実か否かを確認する事さえ、ままならぬままにお金を提示され従う親御さんがいらっしゃるのは、やはり「子を思うがゆえ」に尽きるのだなあと心が痛く、「摂理をやめる」について身近な話を書こうと思いました。。。

 

 

私の友達も(私が勝手に友達と思っているだけかもしれないけれど)妹のようにキリスト教福音宣教会(摂理)から離れている状態の人がいます。
理由は聴いていません。
もし、話したいと思っているならば、もちろん聴かせてもらうのですが、そうでなければ特に聴く理由はないです。

なぜなら、自由だから。

摂理を止める。
摂理から出る。
とか
脱会するとか。

いろんな表現がありますが、
ご本人次第なので、戻ることも
やはり、
いつでもOKなのです。

なので、
妹に「神様は待っているよ」と一言だけ伝えました。
返事を特にありませんでしたが、気のせいか少しだけ嬉しそうにも見えて。。。

わたしの勝手な希望なのか、事実なのか。

祈りながら、見守ろうと思います。