自分が自分こと、嫌いだ。ひどい奴だと思う時、昔はひたすら自分を痛めつける考えになるばかりだった。

今は、そういう時、御言葉を求めて、お祈りをする。
祈ってから、御言葉を読むとき、聖書を読むとき、心の痛さ・苦しさが解けるから。

御言葉で、それを裂くときに
chaosな心はなくなって、私の心に、希望と平安がくるから。

自分なんてひどい奴なんだろうかと、自分に愕然とするとき、
自分の足りなさ・失敗を見つけるのは変われるチャンス。

悪いものをわかってこそ、善いものを見出すのか
善いものをわかって、悪いものを取り除くのか。
いずれにせよ、それらの状態を表記するところ

chaos混沌=善+悪

chaos混沌-悪=善

ここでいう善とは
端的に表現するならば良心・愛・平和

混沌としている心・考えが裂かれる時に平安と平和と愛を見つけるようになる。

荒野の様な私の心に、人を思いやるという心が泉のように湧き出で、川のように流れるようにしてくださる
神様の御言葉。感謝します。

聖句
ルカによる福音書17章21節
「神の国は、実にあなた方のただ中にあるのだ」