「18.行なったなら奇跡だ。」
摂理 鄭明析牧師の明け方の箴言より
御言葉を行なう時それを感じる。
奇跡って、自分が知り得ないことを得る時だと私は御言葉を行なってみて思う。
奇跡は大きなことだけでなくて、知らないことを知るようになる
小さなことだとしても、自分の考えが変化することが奇跡だと思うのだ。
なぜなら、外見はどうにでもできるが内面を変化させることは本当にむずかしいから。
美容院でシャンプーをしてもらった。
とても的確な洗い方でさっぱりした。
的確なマッサージと力の加減がいいなと思った。
それで、その方に良いですねとお伝えした。
2016年6月5日主日の御言葉
「<人間>もどう接し使うかにかかっているし、<環境>もどう接し使うかにかかっている」
同じことを伝えるにも伝え方を工夫してみた。
1回目は言葉で。
2回目は言葉に笑顔を添えて。
2回目は伝えた時に、笑顔が返って来た。
なおかつ、そのあとに髪の毛を乾かしてもらった時とても良い雰囲気でお互い楽だった。
これか~なるほど。
自分が思っていることをただ伝えるだけでも、相手が力受ける伝え方ってあるんだね。
わたしは人を褒めるとかあまり思っていない。
ただ、いいものはいい。
良いものはいいと伝えることで、その良いところがよりよくなるならば私もうれしいなと思う。
だから事実を伝えるだけなんだが、
感謝に笑顔を添えただけで自分の予想していない反応が返ってきたので、
伝え方・接し方って超重要だと思った。
行なって得られるものがある瞬間、御言葉楽しい!嬉しい!って思う。