日本人は基本的に否定的な考え方になっている。
そう韓国の宣教師さんがおっしゃっていました。

たしかにそう。

私自身もそうだし、私の母もかなりの否定的な考え方の人。

日常的に、「ダメ」という否定的な言葉が母の口から毎日のようにでてきます。
彼女は空気を吸うように穏やかな顔をしながら、そういう言葉を発するのですが(^_^;)
これは子供たちにものすごい影響を与えていたなと自分や妹たちを振り返ってみておもいます。。。
自分を認めるような言葉を掛けられないまま、成長すると
どうなるか?というと

相手と自分どちらもOK イイねという状態でなくて、
You’re OK  But   I’m not OK

そんなかんじ。

でも、こういう思考形態って実は自分だけではないんだなと。
新聞やニュース、社会で出会う人びとの
心の悩み、人間関係の摩擦で苦しむ人たちの声を聴くと
日本人全般的に抱えているものなんだと気付きました。

自分を肯定的に認められない。
だから、自然と妬みが生じ、「出る杭は打たれる」ということわざが存在するんではないかと。
小学生のよつばちゃんがお友達について、本人がほこらしく思っているのを
別のおともだちがそれってどうなの?って否定的にとらえてまさに出る杭を打とうとしているのを
「良いところは良い。それでいいんじゃん?」って肯定のパワーでいさめた事件。>ひそひそ話にもまけないぞ!
神様の愛を知っているよつばちゃんの強さをかんじる記事です。

天地万物、宇宙と地球と自分を作った神様を知らない日本で、国民的ヒット曲
「世界に一つだけの花」の「もともと特別なOnly One」や
福沢諭吉先生の「人の上に人を作らず」という言葉に
感動するのも、日本人の  I’m OK でありたい。
そういう願い。渇望感から来ている気がします。
しかし本来は神様の前ではみんな一人ひとりが、個性の王様。
実際に、神様から見たらひとりひとりが本当に大事な存在。
これは地球が存在してる現実、と同等の真理

求めているのに、私たち日本人の大多数はショーケースに入った素敵な宝石を眺めたままで
自分のものにしないままでいるような感じがします。

You’re OK  and  I’m OK
そうありたいのに….

宗教=悪
というイメージが、根深い日本なのか
ただの食わず嫌いなのか
その両方なのか。

どちらにしても、
わたしは聖書をちゃんと学んでみたときに、素敵な宝石が自分の手の中に入ってきました。

しかし、宝石って磨いたり加工したりしてこそ
輝くわけで、これがまた奥深いです。
個性の味とは、神様のみことばで自分を作ってこそだせるんだなと。

話がずれてきたので、また別の機会に書いてみようと思います。
今日のお話は、個性は神様の視点で見る時にみえてくる。でした。
m(__)m