私が山梨英和で中学生をしていた時、名物的なというか、印象的な校長先生がいらっしゃった。
ミッション系の学校なので、クリスチャンの教員が多いが、その校長先生もクリスチャンだった。
ある時、校長先生がどうしてクリスチャンになったのか?を話して下さった。
校長先生がまだ10代だった時、第二次世界大戦まっただ中。
病気をして療養所にいたそう。そこで、病気によって半分顔が崩れた女の人がいたそう。。。
正直恐かったと。
申し訳ないけれども、真正面から向けなかったんです。
その時に、イエス様の愛について衝撃を受けたんですよ。と話されていた。
イエス様は、一人ひとりに向き合って、愛して、癒してあげた。
それがどれだけすごい事なのか、ショックを受けたのだと。
当時、わたしは聖書をおとぎ話のような、物語のような感じでとらえていたので、
どうしてそこまで衝撃を受けるのか、正直理解できず
ただ、校長先生の正直な心で話される内容に心打たれた。
イエス様がされた奇跡がおとぎ話ではないらしい。
そう、おもった。
大の大人が人生かけて信じるほどのことが、この聖書に書かれているらしい。
しかも、私が観察してきた大人の中で、この人は正直な人だ!
校長先生なのに、まったく偉ぶることなく、謙虚な話され方をするところに信仰ってなんかイイものらしい。そう感じた。
わたしが神様について、イエス様について真剣に考えるようになったのは、
多感な時期と言われる10代の時に、神様がこの校長先生はじめいろんな信仰者に出会わせてくださったからだなぁと
しみじみ思った。
校長先生が好きだった「讃美歌第二編64番のぼれ高く」
夏の青い空に映える白い入道雲を見ながらメロディが頭に流れた。
あの時は、歌詞の意味もそこに込める思いも全く分からなかった。
生きた信仰者に出会っていなければ、摂理や宗教に対しての悪い噂で多分にもれず、悪いものというレッテルそのまま判断していただろう。。。。
疑心暗鬼の塊のような私に、必要な人に出会わせてくださっていた天に感謝。