感動するときって。

見たことが無いものを見る時ではないでしょうか。

見たことが無いものを見る時に、感動するし、興奮しませんかね?

こんな美しいもの見たことがない。
こんなおいしい物食べたことがない。

今までに体験したことがない事象に会う時、わたしは目が覚めるというか、心と体の細胞が湧き上がる感じします。

そういう感覚をあじわうこと。摂理ではけっこうあります。
わたしは、チョンミョンソク先生の説教(御言葉伝える)を通してあるんですが、先生の何に感動するかについてちょこっとシェアするかんじで書いて行こうと思います。

「あなた方によく言っておく。私の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである」
マタイによる福音書25章40節

イエス様が比喩で兄弟愛(博愛精神)を説かれている部分です。
ミッション系の学校で8年間いろんな牧師さんに会って説教を聴きましたが、これを実体的に行なってきた牧師さんに会ったのはチョン・ミョンソク先生が初めてでした。

韓国が朝鮮戦争の影響などでまだ国自体が貧しく大変な生活をしている人が多かった時代にバス停の近くや道端に物乞いをする
母子がいたのをみて、先生は自分のバス代を渡してあげてご自分は歩いて15キロ以上の道のりを帰られた話(ポムソク牧師のブログ「古木」参照)そのエピソードにも心打たれましたが(他にもいろいろありますが)、

私自身が先生のその「どんな人も尊く接する心」に触れたのは
摂理で礼拝に正式に参加するようになって1年経つかどうかの時でした。

慣れない一人暮らし・都会での生活に心身疲れてお祈りすることなかなか深くできずに神様かんじられなかったり、御言葉を聴きたくても眠くて大変だったりする中で「私は特に役に立てるような人ではないし、神様信じることは別、ここにいなくてもいいじゃないか?今日で礼拝参加するのは最後にしよう。」そう思って御言葉を聴いた日でした。

その時インターネット中継で説教を聴いていたのですが、

「先生がいなくなったら、みなさん困るでしょう?
そのように、あなたがいなくなったらそのぐらい困ることです。」

そういきなり、説教の途中でおっしゃったのでした。

世界各国、老若男女に慕われている先生がいなくなったらそりゃ大変でしょう。
その先生がいなくなる事と、
いてもいなくても世界は変わらない取るに足らない私がいなくなるのは比べる事しなくてもわかるぐらいのことなのに、
そうおっしゃったことに驚きでした。

お金もないし、肩書きも地位もないし、持っているものは何もない私がいなくなることなど誰も困らないはず。
誰にも影響与えない私に対して、

先生は「あなたがいないと神様が困る。」

その言葉には、
私が生きていることがどれだけ大きなことなのか
大切なことなのか、が伝わってくる真実な想いがありました。

聞こえのいい言葉は、ちまたにあふれていると思いますが、心動かす言葉はあまり聞けないです。
心を動かす言葉は、真実な想いが入っていると思います。

一人の人を、「たった一人」として神様の目で尊く見て、接する。
聖書に書かれている、エス様がおっしゃった御言葉をそのま行なってを生きて来られた方なんだなと感じました。

良い話は聴こうと思えば聴ける世の中だと思いますが、
自分の存在がどれだけ大切なのかを心でかんじることが出来る話を聴けるのはあまりないのではないでしょうか?

私は摂理しか知りません。

自分がなぜ貴いのか?どうして、あなたは大切な存在なのか?

鏡に映った自分の顔を見て醜い。と思って鏡を割ろうとしたことありますか?
チョン・ミョンソク先生はそう思って、10代の頃、鏡を叩き割ってしまったそうです。

私も15歳くらいの時にそう思ったことがありました。
でも私の場合は、割ったら手を切って血が出るだろうなとか
考えがよぎって半端な力加減になったため、割れなくて、ただ手が痛かったです。

今では世界各国、どんな世代の人からも慕われる方である先生に割ってしまうくらいの激情があったんだなぁ・・・
その先生がどうやって自分を好きになったのだろうか?

神様に祈って尋ねてみました。
お祈りをしながら主日と水曜の御言葉を読み返していたら、答えをもらえました。

「<肉体>がどんな万物より貴重で神秘的なのは、
「全能なる三位一体の形象」と似ているからです。
だから「最高の作品」です。
<肉体>だけではなく<心・考え・行ない・魂・霊>も
「全能なる三位一体の形象」に似るならば、「最も極の作品」になります。
神様は心も、考えも、行ないも、魂も、霊も
「自分の形象に最高にたくさん似ている人」を最高に貴重に思います。」

2016年3月2日主日説教
「万物は[人間の形象]を備えれば、最高の作品だ。人間は[三位一体の形象]を備えてこそ最高の作品だ」より

人間が、自分という存在が、神様が作った傑作品だということを先生は悟られたからなんだとわかりました。

神様について知らない、自分の価値について知らない会ったこともない人たちに
手が痛くても、ひざが痛くても、首が痛くても、熱が出て頭痛がひどかったとしても御言葉を書き送ってくださっています。
どこの国の人が読んでも文章でもよりよくわかるように御言葉を書いてくださっています。

「<自分自身、自分の肉>がどうしてそんなにも貴重なのか?
この地球世界に<自分>は「一人だけ」だからそんなにも貴重なのでしょうか?
人生、100年生きますが、それもほとんどが70~90年で人生が終わります。
だから「名誉・権勢・財物・容貌」は「永遠なもの」に比べれば貴重ではありません。
当世のみ、肉が生きている時のみ貴重なだけです。
しかし<自分の考え、自分の体>をもって<自分の霊>を永遠な国に行って生きるように作ることができるから、
<自分の体と考え>が本当に貴重で大事です。信じますか?」
2016年1月13日水曜の説教より抜粋

もっと知りたい方は、ぜひ摂理で御言葉を学んでみてください~☆