美しい生活・・・

片づけたいがどこから手を付けたらいいのかわからない~という時は、部屋をぱっと見た瞬間に目に入るところから片づける方法。
また、常にキレイにしておく方法について、負担なく、まんべんなく出来るようにするには、掃除をする箇所を曜日に決めて行なうのがいいそうだ。(たとえば、シンクの汚れは毎週水曜日、フローリングのほこり取りは月曜・水曜・金曜・日曜とか。)

それぞれ片づけ・掃除の専門家が語っていた。
片づけの方法・掃除の秘訣でポイントになることは、優先順位と取捨選択と言っていた。

つまり、自分の考えの中心・大事なものは何か?による。
部屋を片づけること・掃除することに自分の考えが、実は密接なかかわりがあるってことではないかと思った。

もしそうならば、
美しい生活・心地よい生活の判断基準とは自分の考え・価値の優先順位によるといえる。

ポイントは自分の考えの軸による
優先順位と取捨選択・・・・
つまりはどういう心・考えで生活をするか。

神様をこよなく愛する先生はどんな風に生活しているのかなとふと思い出してみた。

先生の今いらっしゃる場所はとっても狭いそうだ。
狭すぎて家具を置けないそうだ。
でも、神様を迎えて生活を共にする為に、神様が座わられる場所を作るそうだ。
一度拭くのではなく、畏れ多くも神様を迎えるので2度3度拭かれるそうだ。
そうしてこそ御子様は座ってくださるとおっしゃっていた。
その狭い場所で、見えない神様を見える人のように愛して喜ぶ心で、
真実な心でそのようにする先生。

本当に、美しい生活とは神様と共に生きることだとチョン・ミョンソク先生を思い出してそう思った。

ほぐすこと大事。

ほぐすこと。

とどこおりをなくすこと。

体も、こころも。
そして、時間も。

どこかに、無理な力がかかるというか、心の均衡が崩れるというか無感覚っぽくなる時
その時は体がどこかこわばったり、心も固くなったり、時間もあるようでないという焦燥感に駆られるものだと思った。

おや?私今否定的じゃないか?どうしたんだ。と思って点検をしたところ
首のリンパがパンパンで触るだけで痛くなっていた。
体と心はつながっている。
お休みの人が多くて対応件数がその分、しわ寄せが来ていた今日の業務。。。
神様と一緒にしたくても、自分の考えでいつの間にか苦しくまたなっていた・・・。
顎下から首のライン肩に向かって、息を吐きながら上から下にただ撫でた。
固く張っているところを少しつまむように、2回3回、繰り返してみた。

私の考えで一人で苦しくなっていたことがわかった。
神様は隣で助けたかったけれど、
私が神様を呼ばなかった・考えなかったことで、神様も私も苦しかったんだな・・・
なんでこんなに忙しいんだ。なんでみんな休んじゃうんだろ。
どっかで詰問してしまう考え知らずにストレスを培養してしまっていたのだとわかった。

神様を呼ぶ・考えると考えが変わる。
神様は絶対肯定の神様だから。
人は見える範囲で見えたまま判断をするが、神様は見えない心と未来すべてを見通して導いて下さる。
だから、人間の考えと神様の考えは絶対的に違うのは考えの次元だ。

「神様の考え」を一言でいうならば「肯定的」

全てを受け入れ、善を目的にして力を与えてくださる神様の考え。
チョン・ミョンソク先生から御言葉を学んで思う。

忙しいからこそ、心を失わないようにもっと神様を呼んでみよう。
自分を守って、誰かの助けになるように、最善を尽くそうという考えですれば、新しい次元に上がるチャンスだよね。

パンパンに張った首を神様と一日を振り返りながらマッサージした時に、そう思った。

そうなのだ。
いつも、事象が問題ではない。自分の考えが問題なのだ。

どのようにとらえて、どのように判断し、どのように対応・行なっていくのか。
あぁ私、また繰り返しちゃっていました。。。すみませんと神様に謝った。

神様は、わかったからいいじゃないかとおっしゃったかんじがした。
マッサージに使っていたBio-oilのやわらかく甘い花の香りが固くなっていた首と心をつつんで溶かしてくれた。