恨む呪縛から自由になりたい方へ-恨むことをやめる方法とその理由。

恨みつらみを抱いていても

楽になれない。

それを分かっていても、止められない。

だから、怒りを原動力にして日々を生きていた
生きているとは言い難い生き方だとわかりながら。

そんな私が、恨むことを手放す方法を得た。

そもそも、何をそんなに恨んでいたのか気になるだろうか・・・・
田舎かつ大正生まれゆえか、祖母は長男でなけばということをことごとく言っては、
母が私のせいで不当な悪口を言われ続け、私の存在は無意味だと痛感させられた祖母の存在だ。

人の悪とは、どこから生じて、このように負の連鎖を生ませるのだろうか。
深くて暗い穴が自分の心の中に巣くっているのを感じて、これが人生の意味ならば今日にでもやめたほうがいい。
そう思っては線路に飛び込むことについて検討したものだった。

青春というコトバとは、かけ離れた10代~20代初めのそんな私。
晴天の霹靂だったのがチョンミョンソク牧師の説教だった。

自分をダメにすること。
それを、一刀両断してくれた。

自分で自分を苦しめている。
ばかばかしくも愚かな自分の苦しさを、優しくつつみこんで撫でてくれるような神様の愛が溶かしてくれた。

恨むしかない。
そんな環境、状況を体験した人が、
天真爛漫に幼子のようなほがらかな顔で
感謝しなさいって
言うのだ。

恨むことを止める方法。

説得力は言葉のうまさというよりは、どう生きてきたのか。
それによるのだと、都度思う。

チョンミョンソク牧師が生きてきた経緯を聴きながら、
悲しくないのに涙が出る、そしてそれが何だか温かい。っていう不思議。

光のほうへ背中を押してもらう感じ。
だから、そんな風に生きようって

すぐに出来ないとしても、そうなろう。

そういう心をもらえる。

そうやって、
恨む考えを
自然とやめることになったのでした。

絶壁な山頂がある瑞牆山は、あの山に似てる。

難易度3星判定されている山にフラッと登れるものだろうか??🙄と不安( ̄▽ ̄;)がよぎりながらも行ってみましたが、

紅葉の美しさ、岩の壮大さ

 

 

自然とおして神様の愛を感じて感激しながら登山しました。

 

20代のときより楽しめるのは、体力づくりの効果😳😲😙を感じて、今後もやはり日々運動しようと心に決めました。

山頂は0度ぐらいの温度で、つららもあったり
雲におおわれている感じで寒かったんですが

せっかくなので😣一瞬でも晴れにしてください!😣とお願いしたところ、そんな無茶ぶりにも寛容に応えてくださる全能者のすごさ😆✨

そんな山頂はどこかで見たことがあるデジャヴ感が。。。

そう、

チョンミョンソク牧師が修道生活をしたかの山テドゥン山の鷲峰に似てるのでした。

 

なので、ちょこっと

正座してみたのですが、つ、冷たい。

そして、吹きすさぶ寒風。

寝たら落ちてしまう峰の上で、どんな思いで祈ったのか。。。計り知れないその精神力と信仰。

あらためて驚きと畏敬の念が生じる。。。

そんな我らの先生は、どこに行ってもお掃除、ごみ拾いします。地球は神様が作られた貴重な作品、人類に下さったプレゼントだからです😊

なので、神様への感謝を込めて登山しながらごみ拾いをしました。

そうしたら、ハートの石をお返しにもらっちゃいました。

 

一瞬一瞬、同じ時はない。
山肌の紅葉を照らす太陽の色合い、その光彩を通して、人生もこのようだ。といっている気がしました。
毎日その一瞬が尊い。

 

 

 

そう、生きるって尊い日々なのに、頭で分かっていても、裏腹にココロは殺伐としてしまう。。。
昔はそんなことが多くて、自分自身に嫌気がさしていました。

下山しながらそんなこと回顧しつつ、

行なったこと&行なっていることを通して教えてくれるチョンミョンソク牧師から学びながら、自分の手入れ&治め方を教えてもらっていること、そしてココロが生きている味と活きる味を取り戻せてる確かな変化を実感しました。

 

確かな変化を目の当たりに出来て、

人生山あり谷ありだけれど、どんな時も感謝と喜びで、隣人にも真心で思いやりを持って生きたい。

そんな思いも、いつかきっと実体にして行けるだろうなと感じて🤗

山に登る達成感、それ以上にまた得られるものがあるって

思いもしなかった喜びかも🤭そう思った秋の登山でした。