デッドボールではなく、キャッチボールができるようになった件

わたしたち家族は自分のキモチをそのままぶつけて
相手の言葉(キモチ)を受け取ってあげられないという特徴があった。

ハリネズミのジレンマというよりは、キャッチボールを知らないジレンマ。

感情むき出しかつ相手の受け止める心持など考えずに繰り出される言葉は
受け止めがたく、デッドボールにしかならない。
だから、自然無言になるしかない。

キャッチボールできない絶望的なところから、
キャッチボール少しずつできるようになったことを話したいとおもう。
平たく言うと、家族再生。

事象の原因を知ると、対処がわかる理論を適用したいが、それが出来なかった。
なぜなら、「経験にない」から。

デッドボールになる原因は「相手の心キモチをまず受け止めてあげること」が出来ていないから。
なぜそうなるのか?
両親それぞれを観察してみた所、
「受け止めてもらった経験」が無いという事が見えてきた。。。

その場合どうなるかというと、
経験したことを繰り返すので、このデッドボールが自然に繰り出される。
なので、私にとって家族は「無期限の我慢大会」という意味だった。

2年ぐらい父と目を合わさない・話さないこともあった。

そういう訳で、私たちにとってキャッチボールのコミュニケーションができることは別の国の様な感じだった。

そんな私が摂理に来てチョン・ミョンソク先生から御言葉を学ぶ中で私はその新しい世界を見るようなった。

その一つのエピソード・・・

先生はお父様から「お前には期待していない」と言われ、すごく悲しくて、自殺しようと思った時があったそうだ。

そのような過去があった先生がどのようにお父様に接していらっしゃるかというと「国王のように敬った」そう・・・

なぜそうされたのか?

神様が自分の両親を通して自分を生んで育ててくださったから
聖書に親を敬いなさいとあるから

でも、自分を全否定するような言葉を言われて、すぐにそうできただろうか?
苦しかったし悲しかったし、つらかっただろう。

どうやって乗り越えたのだろうか?
毎日先生が明け方の礼拝や、主日礼拝、水曜礼拝ごとに現れて説教されている姿を半年以上
観察してみて見えてきた。

神様が聖霊様が、御子様が癒してくださって、
そしてまた、神様に対する愛で自分も「愛そう」とされたんだなと思った。

人生を通して教えてくれるその先生の話にはいつも「神様の愛」に対しての
先生自身からの「真実な愛」があった。
だから、なんか癒された。

先生がされたように、私も家族に神様が下さった愛で接してみよう。

「ありがとう」と言う心でまず挨拶を対話をできるようにしようと。
神様の愛でしてみようと思った。

私が神様の愛で接っしていく時、家族が少しずつ変わっていった。

私が変われば、家族も変わった。

いろいろあっても神様は私たちのこと愛している。
それを伝えたくて、家族に接するようになってからキャッチボールが少しできるようになった。

私が変わったのは、先生の姿、絶対信仰によってだった。

先生の絶対信仰。
神様の愛を絶対的に悟ったからそう生きるしかない真実な愛だと思う。
心動かされるしかない。真実な愛には。

心が辛ければ、愛は出ない。
出したくても、出ない。ひねり出そうとしても、出ない。

私が祈って・御言葉を理解して行なう時、からまった心が解かれて愛が湧いてきた。
悲しかったことは全部祈って行く中で聖霊様が癒してくださった。

一つずつ解かれて、癒されて、私一人が生きること、存在することを大切に思ってくださっている神様。
私が存在できるように、両親を通して無言で助けて下さった神様を見つけられた。
母は私が落ち込んでいる時、忙しくてもお弁当のおかずを増やして元気づけるようにしてくれていた。
父は私が徹夜している時に、温かいココアを差し入れしてくれた。

人間は愛がないと生きていけない。
たしかマザーテレサが言っていたと思うが、両親にも神様の愛が必要なんだとわかった。

究極のコミュニケーション。神様との疎通も、先生が教えてくれた。
だから、生きることが楽しくなった。

当たり前なことが、当たり前にできないこともある。
それが神様の愛を知るきっかけならば、結果オーライ。
今そう思えることに心の奥から感謝。

(2016年6月11日Up記事をリライト)

新しい道の作り方。

いつも新しく生きたい。変化したい!そう思う方へ、
この方法はとても具体的に確実に変化できる方法だと
試してみたゆえに
オススメしたい。

 

「<既存のもの>を差し出してこそ、その条件で「新しい道」を得るようになります。」

2016年4月17日主日説教「心と思いと命を尽くしなさい。 苦労しても命の道に行きなさい。」より

私の<既存のもの>は、自分の思ったとおりに行かないと
上手くいかないと投げ出したくなる。やめたくなる。逃げたくなる。

今日もその<既存のもの>が発動する事態が起きた。。。

どうしてもお客さんが言っている状態がまったくわからない。
電話越しだと、画面が見えないからお客さんの表現を頼りに何が起きているのか
想像するしかないのだが、40分くらい同じことを繰り返すという、
昼下がりのまどろみがこっぱ微塵に粉砕される、変な汗かきながら目が覚めるしかない展開。

私の聞き取り力では無理だ。
もっとできる人に代わってもらおう。お客さんも大変だし。

とそのように思ったその瞬間、
既存性じゃんこれ!と私にささやく声が。

あ~どうしたらいいのか、そういわれても・・・・
と私の中で2人の私が対峙し始めた。

こういう時、先生は神様を呼ぶだけでも考えが良い方に変わる」と教えてくださったこと
が思い浮んだ。

そこで
聖霊様、聖霊様、御子様、御子様、神様、神様~と天に助けを求めつつ
再度、お客さんの言っていることを確認しなおした。

天を呼びながらお客さんとやり取りをしなおしたら、
ここで私が誰に代わってもらったら、既存性にとどまるけれども、
お客さんがまだあきらめずに私と話をしてくれているのは
私がこのやり取りで何か変化できるチャンスをもらっているのかもしれない。。。
そのように心の風向きが前方向に吹き始めた。

チョンミョンソク先生のように、真摯にもう一回お客さんに何をどのようにしたいのか尋ねてみよう。
先生のように、同じことを話すとしても、より相手に負担がかからないようにわかり易く、
いっそう工夫して話してみよう。

そのようにしてみたら、奇跡のように解決した。

1時間くらいかかってしまったけれど、お客さんも解決した~と言って喜んでいただいて終わることが出来た。

「わからない・無理だ・自分にはできない」という<既存のもの>を差し出すのは
天に助けを求めるところから始まった。
求めたら天の心と考えを私の心に風が吹くように与えてくださり、
先生の精神が私の考えの中心に入る時、
私が出来なかったことが出来るようになった。
新しい道を得た。

新しい道を作って行く機会は生活にあるのだ。

(2016年5月31日Up記事をリライトしました)