毎日ではないが、母とお祈りをする。
母が神様と親しくなれるように、母がもっと神様に自分のことを話すことが出来るように。

家族の問題を、解いていくには、お祈りと御言葉だと
しみるほどわかったので、
母と祈る。

母はまだ摂理のメンバーではない。
バイブルスタディを学び途中。
摂理を悪い団体だと言っている人たちの存在があることや先生の状況については
壮年部の合宿に参加させてもらった時に教えていただいたので知っている。

母は私のように祈れないとよく言うので、
私は私、
お母さんは、お母さん。
お母さんの心からの一言を待っている神様なんだよ。
お母さん、ソフトボーラーだからキャッチボールわかるよね?
キャッチボールをするみたいな対話をしようと思って待っていらっしゃるんだよ。

と、認識の転換を図れるように幾度となくトライ。

そして、そう話している自分自身がちゃんと神様とキャッチボールできているっけ?と
自分自身の点検にもなる。

母がどんな思いで、一緒に祈っているのかは正直分からない。
でも、永遠である霊があること。人生一生をかけてより良く自分の霊を作ることが大事だと
伝えた時に、それはそうだと思うと母は神妙な面持ちで認めていた。

祈り終わったあと、母は温かくやわらかい表情であることが多い。
なんらか、神様から癒しと恵みをもらっているのかもしれない。。。。

私が知る限り母が家を出ようとしたことは4回ある。
言葉に出来ない辛い思いをしながらも子供を捨てないで
一生懸命に育ててくれた母が、どうか後悔のない人生を生きることが出来るように
心からの祈りを捧げ、
聖霊様に助けを求める日々である。

(2016年12月27日UP記事リライト)