中学3年生の時、
「なぜ人はいつか死ぬのに生まれてくるのか?」
「なぜ戦争があるのか?」
「心の痛みや苦しさとか、虚しさとか、なぜあるのか?」そういう事を頭痛くなるほど考える時期だった。

中高一貫教育だったから出来る悩みだったのかもしれないが大学どこを受けようか、どんな仕事をするのがいいのかなと
周りの友達はワクワク進路の事を考えていたが、私は悶々と人生について、生きる事とか真剣に考えていた。。。
学校が聖書について、イエス様について真剣に説いてくれる授業をしていたので、それがたぶん影響の一つでもあったんだと思う。

ある日、学校の牧師先生に問いかけたことがある。

「創世記にアダムとエバが堕落したことによってすべての苦痛が始まったと書かれているが、
これは一体何があったのか?私たちが今苦しい思いを思っているのはこのせいなのではないか?」と。

牧師先生の返答は
「掛け算を知らない小学生には因数分解を教えられないように、神様について知らない人には教えられない」だった。

心の苦しみ・人生の問題の答えを与えてくださるのがイエス様ではないか?と
思っていたのに、、、
イエス様・神様について教える人からそういわれたら門前払いされたような気持になった。

門を叩いたのに、帰れと言われたような行き場のない気持ちになったが
幼かったから、そうか私がまだ子供だからわからないのか。と思った。
しかし少したって、これはただ、煙に巻く返答なだけだ。と気づいた。

そして、人生について頭痛くなるほど考えている人にそういう答えはしちゃいけないよね。
わからないなら、わからないって言えよ。。。と、悲しさは憤りになった。
神様について教えてくれるはずの牧師先生が、むしろ迷わせてどうすんだと、思った。

いろんな人がいるから、別の牧師先生にも訊いてみようと思って
おじいちゃんの牧師先生にも訊いてみた。

「ごめんね、ぼくにはわからないけれど、神様にお祈りをしてみたらいいとおもうよ。沢山訊いたら、応えてくれる神様だよ。」といわれた。。。

どうやら、牧師先生でもわからない話らしい・・・・と思った。

神様とイエス様を信じて、牧師までになっているのに、
わからない事があるんだと衝撃だった。

そして、
「私に生きている意味があるならば、人生辛い・虚しいと言って自殺したらまずいならば、ちゃんと教えてくれる人に会わせてください」と祈った。

「私のもとに来なさいってイエス様が言っているのに、どこに行ったらいいんですか?」と
心の中でつぶやきながら、いくつかの教会に行ってみたりもした。
文字通りに教えてくれるところはヤバイ。と思った。
もう無理だ。わからないまま死ぬか。と思ったりもした。

そうこうして、
私なりに神様に尋ね求めて
6,7年後に、摂理でアダムとエバの堕落に関して教えてもらうようになった。
あきらめかけた20代過ぎに摂理でバイブルスタディを聴くようになった。

チョン・ミョンソク先生はもしアダムとエバに会ったら、殴ってやりたいと思うくらい自分の人生の苦痛がひどかったそうだ。
人生になんで苦痛や悲しみがあるのか?
究極的に21年間、山の中で、神様に5300回以上尋ねて、このことを解かれたそうだ。
わたしは先生ほど訊かなかったけれど、頭痛くなるくらい考えた気持ちは少しわかるのと、アダムとエバが本当にあほだと思ったから、ものすごく共感した。
摂理で御言葉聴くと思うのが、そこに人生で感じる苦楽の感情がある。
だから、リアルで受け入れるというか、納得できるというか、嘘が無いなと思う。

教えてくれる先生が、実際ものすごく辛かった中で、努力された方だから
その言葉が心に染みる。
つまり心情ってやつ。

苦労したからといって、自分すごいだろうという、威張る感じが全くなく・・・

ただひたすら、わかり易く
神様が教えてくださったことを喜んで教えてくださっている。

人生を生きる時に、感じる辛さ、悲しさ、虚しさ。
それを解いて、神様を教えてくださる牧師先生です。チョンミョンソク先生は。

(2016年9月16日Up記事リライト)