1日中話す仕事をしていると、問い合わせ件数が多い分、お客さんを個として見れなくなり一方的な案内・伝え方をしてしまう事が起きる。そうすると、対話ではなくなって、簡単な話も、お客さんの心に不満を与えたことで不快という暗礁に乗り上げるようになる。

幾度となく、その暗礁に乗り上げては、自分中心の考えを神様に悔い改めたか・・・・。
未だに、引き起こしてしまうが、それでも発生率はかなり減ったと思う。

こんなひどい自分で申し訳ない。という気持ちもあれば、
言っているのに分かってくれないから苛立つのも仕方ないじゃんという自分も小人サイズにいたり、
そんな自分を見つけて、お前まだいたの?みたいな途方に暮れる思いも生じたり。

神様を前にしてより良い心で生きるという信仰心持っていなかったら、多分こういう葛藤もなかっただろう。
でも、解決はできなくて、おそらく変なストレスの無限ループに入っていただろうと思う。
良心に引っかかるふてぶてしい自分中心を見つけられたら悔改め・回復のチャンスになるからほんとに感謝だ。と思って

心から、自分がお客さんに不快感を与えた神様に申し訳なかったと告げて
どうして、相手の心を考えなかったのか、自分側の状況だけにとらわれていたことを気づかせてもらった。

対話する時「表現」をちゃんとやってこそ、楽しくうれしい。

キリスト教福音宣教会-摂理 明け方の箴言より

何が悪くて何が善いのか。
それが裂かれて、すっきり裂かれたので、「だって」と言って自分のことばかり主張する小人の自分がいなくなった。

黒いモヤが心に立ち込めていたが、スッキリとした光に包まれる心地になった。
悔い改めっていいな~と思った。

「対話になるように、表現をちゃんとやってこそ、楽しく嬉しい」今日はそれをやってみようと思う。