都会のねずみと田舎のねずみという絵本がある(タイトルはうろ覚え)
都会にあこがれる田舎のねずみと田舎にあこがれる都会のねずみが住処を交換して過ごしてみて
やっぱり、自分の個性・好きな場所が住む場所だと納得するような話。
小さな頃に学校で紙芝居で読んでもらって、とても、印象深かったお話し。
「好きなもの」で自分の生活が作られる。それが、心に残った。
たしかに、好きで祈って、好きで御言葉を聴いて、好きで神様を信じて生活をしている。
しかし、時折「比べる病」が不意に訪れる。
わたしこんなでいいのかな。
みんなみたいに何か持っているものがない。
役に立ってるところがない。
自分が何か役に立つようなことが・・・・ないな。
自分の視点で見えるもので考えてしまう瞬間が比べる病。
田舎のねずみは、都会に行って自分の好きなものが何なのかを知ったのだが、
わたしはどうやって再確認するのかというと、神様に尋ねてみる事で確認。
「私、神様今こう思っているんです。神様はどう思いますか?つまらないですか?面白いですか?」
返ってくる答えは
「つまらなかったら、ここまであなたにチャンス与えないよ。」
「たしかに。笑」
自分の好みは神様が御心をおいて好きになる考えを下さると最近知った。
考えの方向と次元がちゃんと神様の御心に合っているかどうかが気になるところだけど、
神様に、自分のことをいろいろ訊いてみていくときに神様と自分、一対一に自然となる。。。
そうしていると、あれ?さっきまで気になっていたことがどこかに行っている。となる。
昔は周囲に合わせようとしてストレス性の頭痛や胃痛持ちだったけれど
摂理に来てから、よくマイペースだよねと言われるようになった。
それが、面白いし、ちょっとだけ嬉しい。
しかし、それでもふと訪れる比べる病。
自分の存在をどこにおけばいいのかを再確認をする時だと今は思う。
摂理で神様と自分という関係を教えてもらって、お祈りと御言葉を学んで
自分が実際、その通りにやってみて、神様を知っていく時に、
比べる渇き、自分の中にある不安が霧のようになくなる。
目に見えない心と目に見えない考えに
確かに働きかけて下さる神様という存在
その存在が太陽のように、不安という霧を消していく。
比べる必要もなく、一人ひとり違う事が神様の喜びなんだなと。
神様の心が感じられる。
私が神様に向かう事、それが、自分らしく生きる事だと再確認をする。