いつか来る日は、今日でした。

祖母が亡くなりました。
102歳と7日間の大往生でした。
病院の先生の見立て通り、でした。
気管支炎になることを繰り返していて、微熱があったり、ゼーゼー音がする呼吸をすることがあるときに1週間くらい入院をしてまた家に戻ってくるということがここ2~3年の中で、季節の変わり目の恒例だったけれども、今年の7月からの入院はいったん帰ってきてもすぐにまた入院をするような状態で、そのまま看取ることになるだろうと言われていました。

100歳を超えても自分でご飯を食べているとか結構すごいことだ。と、介護の仕事をしているから教えてもらいましたが、好物のホットケーキを焼いてあげると、テンションが上がって拝まれることも日常茶飯事で、意思の疎通もまだできていたことも今思うと本当に感謝だなぁと振り返ります。

こうやって穏やかな気持ちで、祖母を送り出せるとは、10代のころの私は思ってもいないから、大丈夫だよ。と、もし会えることができたら教えてあげたい。そう思うくらい、私は祖母から結構なトラウマといいますか、私が生まれてこなければよかった。そう思わされることが色々ありました。

長くなるんで、端的に上げてもまさに氷山の一角的なエピソードをあげると、祖母は自分のそのときの気分で180度態度を変えるし、万引きも普通にしていたり(幼心にそれまずいんじゃない?とおばあちゃんに伝えたら「お前がかわいいからお店の人がくれるって言っていた」と、わけわからない嘘ついてくることにさらに子供ながらドン引きました)脳卒中の後遺症で障碍者手帳を持っていた祖父をいつも怒鳴りつけていておじいちゃん可哀想と思うのも日常だったり、おじいちゃんがなんだかわからないことを言っているときに、包丁を持ち出して黙らせようとするほぼDVもなかなかでした。嫁にあたる私の母に対しても、渡る世間は鬼ばかりの極悪版みたいな鬼嫁からの自作自演の仕打ちを吹聴して廻り、近所の人が心配して家に来ることがあったり、そういうこと止めてくれと、いう父に逆切れをして父から虐待を受けていると、これまた民生委員の人に言ったりするので、定期的に家庭訪問を受けたり、なんつーかこう書いてみると、改めて話題が尽きない人です。というか、結構激しかったですね。本当に。(妹も目の前で子猫を足で踏みつけて、生き埋めにするのを見たとか言っていたとかで母は妹の心にトラウマになっていないか心配していました)

そんなわけで、わたしは祖母を通していろいろと人間怖いな。と思うようなことを、盛沢だくさん味わわせてもらってきたんです。というか、人格形成に非常に黒い影を与える要因となったかと思います。なので、「赦すこと」ができるか自分!?というのが、結構なテーマとなっていたのです。というか、それを体当たりでこの15年くらい、やってきたのかも。意図せず、そうさせてもらったのかも。と、天に感謝しています。

祖母を通して、神様を呼び求めるしかない。そういう目に遭ったことも今では感謝ですし、私の人生、ほぼほぼ暗かったんですが、そのなかでも生きること死ぬことについて、突き詰めて考えてこれたことも感謝だったなぁと。「自分が願っていたこと一つがかなったら、それで十分だ」という水曜日の説教の中の一言が本当にそれにつきます。感謝しかない。そういう心をもらえたことにも感謝だし、そういうことを一つ一つ教えてもらえた。そのことが本当に感謝をかみしめています。

チョンミョンソク先生が、イエス様だったらどうするんだろう。そう考えて、物乞いをしている子供を連れているお母さんに自分の交通費を全部上げてしまった話とか、キチガイだと村八分みたいな扱いを受けていた精神疾患の人を家に連れてきて一緒に暮らして過ごしていたら正気に戻った話とか、私にはおとぎはなしというか、あまりにも心がよい人過ぎてにわかに信じられない。そう正直なところ思ったんですが、先生の周りにいる当時を知る人たちのお話を聞いたり、先生ご自身の肉声を通しての説教や、今もずっと直筆で送り続けてくださる文章をかれこれ20年くらい触れさせてもらっていますが、私が知らない40年以上前からも、あまりにも変わらないし、あまりにもまっすぐに神様イエス様が好きで愛しているから、そのように行なうんだ。ということが、感じられて、そっか、とりあえず考えずにやってみよう。そういうことかもしれない。と思って、むずかしい家族とかかわって来れました。

今、祖母を穏やかな心で、祈ってあげながら送り出せることができるのは、天の下さった機会と、前もって行うこと、を教えてくれた先生がいたから。わたしには到底できないかったこと、小さなことでもできるように導いてもらえたこと。どうしようもない、家族とどうしようもない自分だとしても、天がくださった大きな奇跡だと私は思うんです。