山梨には日本100名山ならぬ山梨100名山がある。
すぐそこにある非日常。言わずもがな、これが心身にとてもよい。

さいきん、山登りが好きすぎて山梨に移住しました。という方々の気持ちがちょっと分かるようになった。

 

普段、使うことがない筋肉がフル稼働していくなか、絶景を見つける瞬間。これは、
ここまで来ないと見えない、見れない景色だからこそ、一層、意義が深まる。

車を40~50分走らせるだけで丁度良い山に登れる。そして、下山のあとは源泉かけ流しの温泉に入れる。

山に登らずにただ囲まれていただけでは、当たり前だが知る由もなかった。

登り放題と言えるほど山がある。ということは、あんまり人がいかないマイナーな山がある。
人がいかない分、山道がわかりづらくなっている。

山道を歩いていると、思いもよらなかったところからほかの登山者が現れて驚かされることもあった。
整えられた山道とそうでない山道。

整えてもらった状態のありがたみの中、思い浮かんだのは、チョンミョンソク牧師の姿だった。
誰かが怪我をすることが無いように茨や雑草を取り除いてくれていた。

ヒトの目を意識して行なうことは誰でもあるとおもう。
チョンミョンソク牧師の場合、目に見えない神様の目に留まるように、どうしたらよいのか考えて行なうことが今に至るまで変わらない。どんな状況、環境でも、ぶれない。

その不屈かつ強靭な精神力と信仰心は文字通り、人生を一生を懸けて今に至っている。チョンミョンソク牧師のベトナム戦争参戦の体験を書かれた本を読むと、心が洗われるのは私だけではないはず。

恐れと不安に襲われるしかない戦場でひたすら神様を仰いで、そして敵味方関係なく、命が守られることを祈って、捕虜を殺すことせずに生かした。その当時を知る戦友の方々はチョンミョンソク牧師がどんな行動をしていたのかを証言されているが、

「何を食べるかを考えるより、どう生きるかが大事だ。
義を行うことが、食べることよりも大事だ。」と度々おっしゃるその言葉どおりに、ひたすら神様を仰いで生きて来られた方だと改めて思うしかない。

人は食べて寝て生きるだけでは虚しい人生だけれど、見えない神様とともに生きることは、人間には到底見出すことも、行なうことも難しいことを、成していく人生になるのではないか。チョンミョンソク牧師を通してそう思う。

とはいっても、凡人の私にそんな大きなことは無縁だろうと自分でも思う。
では、チョンミョンソク牧師から学ばせてもらって、自分の考えを直したことは何か?というと

宗教的な言葉でなく、平坦な日常的な言葉で表現するならば、

・自分はダメだ。という考えで、終わらせないこと。

・自分が出来ないことも、学べば出来る。繰り返しできるまですること。

失敗したとしても、その過程を神様に報告相談する、祈りをしながら、神様の法則である真理と愛で考えと行いを点検するならば、考える幅が変わる。その考えの幅が広くなること、高くなることが、自分にはどうやっても成せなかったことだった。だから、大変なことがあっても楽しみがある。

なんだ、そんなことか。と、思われる方もいらっしゃるだろう。
しかし、自分はダメだ。という考えと、「出来ない」という考えが様々なこびりついているというか、
こういう考え方では、何かしたいとは思えない。むしろ、自分などいないほうが世のため人のためである。
という、極的な考え、逃げともいえる考え方になるしかない。

なので、こんな自分は生きているのが無駄だと、自分自身もそのように感じていたのかもしれない。(単に鬱状態?うつ病だったというのもあるかもしれないが、薬を飲めば治る類ではないと、自分を掘り下げると痛感した)

そんな私が、毎日毎週、チョンミョンソク牧師から説教(神様の真理、愛、聖書を通して、またご自身の体験を通して学ばされたことを話される)を聴かせてもらう中で、あぁこの話をどう受け取るか、自分が自分の行うべきことを行うか否かなんだな。と、感じる中でいつしかチョンミョンソク牧師は私の「先生」になった。

先生に出会ってこそ考えた方が、変わった。と言えるようになったのも、たぶん、10年以上経ってからだと思う。

しかし、今でも、ときおりというか、日々私は思う。
私など、なんの意味も価値もないかもしれない。

こういう私に、誰が生きる意味を、価値を教えるのか?教え続けていてくれるのか?

命懸けで「そうじゃない。意味も価値も、天地万物、宇宙もすべて作られた創造主によって一人一人にある。」
そう、今も酷暑の中、扇風機しかない部屋に閉じ込められながらも今も教えて、説き続けている先生だ。

ずっと変わらない。
それは、神様の大きな愛を知ったからだそうだ。神様を愛して、また命の尊さを戦場で一層痛感したから、
本当の地獄もいまも体験しながら、神様の愛と慈しみと、平和について伝えている。