ゴミの中で生活をすることを良しとされる方もいると、近年耳にすることはあったが実際、遭遇することになり人生は思いがけない出来事が起きるって本当だと改めておもったものだった。
短期の仕事で食いつないでいる私は、履歴書に書ききれないため割愛している就業経験がいくつかある。
その中の一つが『清掃』のお仕事。
一般家庭や企業の事務所のお掃除などが主な契約だが時々、これはッ!!と尻込みをしてしまうような案件の依頼があると先輩から聞いてはいた。(孤独死をされた方の部屋だったり、数十年掃除されてない台所の掃除とか、人が住まなくなって数年経ている古い家だったり。。。)
私が同行させてもらったのは、かなりのゴミに囲まれて?というかゴミに埋もれて生活をされている方のおうちだった。
先輩が言うには「久々に、人んちに靴で上がったわ。。。手ごたえがある案件ね。」
まず、玄関を開けてからそのまま靴で入場する。床が見えるようになるまで約2日間かかった
ということで、新米のわたしはそれでもだいぶ家っぽくなった状態で加勢に入ったのだが
掃除をしている最中、ご近所の散歩中(というか、散歩に見せかけての偵察??)の方々から
「え?とうとう死んだ?」と窓越しに何度となく訊かれた。
家が大変なことになっていると、隣家の方が目に余る状態を見かねて家主の血縁関係者に連絡をした。というのが、今回の依頼の始まり。。。
ご依頼主は、家主のご兄弟。実際に来てみたらこれが実家か?と疑うしかないような尋常でない有様。しかし当人に告げても埒が明かず。そのため、業者に依頼。&これを機に持病を治療をせよと汚屋敷主は強制入院というくだり。。。なんて、詳しく話すことはできない。
ゆえに「や、ご存命中です!(←日本語として妙だが仕方ない)」と、簡潔に対応しながら、油か何かの黒く粘着質のある液体を洗剤とタワシで強力に擦り取る作業をしながら何度か応対した。。。
床の謎の汚れをこそげ取る作業と、壁の謎のシミをこすり取る作業と、痛くなった手首と腕としゃがみこみできつくなった足腰の疲労を存分にかんじながら生きるときに向き合うべきものとの対峙はいかに大事なのか身につまされた。。。
汚いって思えないから、ここまでゴミをゴミだと思えずにむしろそれらに埋もれて生活をする。
これって自分の心もそうではないか。
汚いって思えること、自分のダメなところ。
それを気づけることも大事なことなんじゃないか。
あと、これは信仰者にしかわかりにくい話・感覚であるが「罪」についての清算。これに通じるなあと感じた。
罪を悔い改めることって言われると正直だれしも引いてしまうと思う。
というか、私はこの絶好のチャンスをなんだか悪者であることを明らかにされてしまったかのようなばつの悪さを条件反射的に感じる。。。
心の汚れも、罪も、
ただ、気づいて落ち込むことで終わりにせずに、どうしたらよくなるのか?
それが大切なんだって感じたのは天からの私へのメッセージかと思う。
掃除は、片付けた分だけ、磨いた分だけその通りに現れる。
変化することは新しくなること。それは、ある種のしんどさがあるがその分確実に、よりよい自分になれる。
その積重ねが、新しくなるってこと。。。そう改めて思う機会になった。
ちなみに、
お風呂のカビ落としはじめ、カルキ落とし道具の使い方を学べたことも◎だった清掃のお仕事。いろんな場所でいろんな人生に出会えるので、日々刺激的であった。