やまなしもご多分に漏れず、外出自粛中な今日の頃です

がしかし、

そんな中でも、母は趣味の社交ダンスの練習に通っているのです。(マンツーマンレッスンだそうですが。。。)

毎朝、毎晩、町内放送で「不要不急の外出は~」と呼びかけられているのにもかかわらず。。。。
母にとって社交ダンスの練習は「必要早急」なのだなぁ・・・・と心身共に今は家庭内ソーシャルディスタンスを2週間以上実行中です。

もし、母がコロナに罹患した場合は、お互いの職場にも影響が出るだけでなく、村八分もどきの悪意を受けるのを改めて知ったので(3月に発症した方が悪質な嫌がらせ等を受けたそう)そういうことも起こりうるんだよ!お母さんッ今の時期だけお休みするのはいかがかと申しましたが「今までのように毎日ではなく、週3でやりたい」とのこと。つまりは、個人レッスンを続けるそうな。。。

どんなリスクがあり、行動を検討することの必要性について真摯に伝えても、
まったくもって成立しないやり取りに、久々にほんの軽い絶望を味わいました。

そして、その昔
怒鳴りあい、罵りあいの家庭内戦争を思い出しました。
家族って辛いなぁ今すぐここから消えて居なくなりたいと思ったこと。

思い出し始めると、
よろしくない負の感情が流れだし
暗澹たる心持になる中、
思い出されたのは「どんな時にも感謝と愛を」のチョンミョンソク牧師でした。

私が自分の心の闇と傷に向き合うことが生じるたびに、「ちょっと待て」と変な方向へ行こうとする私の肩をつかんでくれる存在がチョンミョンソク牧師です。

憎しみと憤りではないものを選ぶこともできるんだよと。

その人生から教えてもらったからです。

ご家族にもご近所の方々からも、理解されず、みくびられ、食べることも難しい、冬に夏服しかなかったようなその当時、どうされたのか?というと…

心に生じた真っ黒な闇にとらわれるのではなく、
天地万物を作った神様に命をかけて誠実に答えを求め続けたその半生。

 


神様の真理を実践しながら説いてくださっているチョンミョンソク牧師のその人生が、
より良いものを選ぶんだと、私を静かに見つめてくるのです。

 

そして、促されるように

神様に今の正直な気持ちをありのままを向けるならば


それは悲しいね。辛いね。
となんだか、ちゃんと受け止めてもらえる感覚が生じるのがほんと不思議なのです。

祈るって、ただ心をありのままに告げることからなんだなぁと
そのたびに再確認。

冬山で全身凍傷になりながら祈り続けて
聖書を何千読しながら、イエス様の行ったことを同じように実践しようともがいて
神様の愛をイエス様の十字架の意味を知っている方の存在って、
私の人生にどれだけ大きいプレゼントなのか
改めて実感が再び湧くのでした。