恨みつらみを抱いていても
楽になれない。
それを分かっていても、止められない。
だから、怒りを原動力にして日々を生きていた
生きているとは言い難い生き方だとわかりながら。
そんな私が、恨むことを手放す方法を得た。
そもそも、何をそんなに恨んでいたのか気になるだろうか・・・・
田舎かつ大正生まれゆえか、祖母は長男でなけばということをことごとく言っては、
母が私のせいで不当な悪口を言われ続け、私の存在は無意味だと痛感させられた祖母の存在だ。
人の悪とは、どこから生じて、このように負の連鎖を生ませるのだろうか。
深くて暗い穴が自分の心の中に巣くっているのを感じて、これが人生の意味ならば今日にでもやめたほうがいい。
そう思っては線路に飛び込むことについて検討したものだった。
青春というコトバとは、かけ離れた10代~20代初めのそんな私。
晴天の霹靂だったのがチョンミョンソク牧師の説教だった。
自分をダメにすること。
それを、一刀両断してくれた。
自分で自分を苦しめている。
ばかばかしくも愚かな自分の苦しさを、優しくつつみこんで撫でてくれるような神様の愛が溶かしてくれた。
恨むしかない。
そんな環境、状況を体験した人が、
天真爛漫に幼子のようなほがらかな顔で
感謝しなさいって
言うのだ。
恨むことを止める方法。
説得力は言葉のうまさというよりは、どう生きてきたのか。
それによるのだと、都度思う。
チョンミョンソク牧師が生きてきた経緯を聴きながら、
悲しくないのに涙が出る、そしてそれが何だか温かい。っていう不思議。
光のほうへ背中を押してもらう感じ。
だから、そんな風に生きようって
すぐに出来ないとしても、そうなろう。
そういう心をもらえる。
そうやって、
恨む考えを
自然とやめることになったのでした。