「沈黙」「ハクソー・リッジ」の2本立て。
これは、すごいセットだよね。じつにウマイ!
とある筋から、この2本立てが公開中だよと小耳にはさみ、どうしよう行くか行くまいか?と天と相談したところ
劇的に行った方が良いよという与件・状況をいただき、行ってまいりました。
大人は1100円という話を聞いたのですが、学生が1100円でした。
つまり、学生ではない大人は1300円。(毎月1日は映画の日ってことで800円だそうですよ。ちなみに12/1(金)はラスト上映の日です^^)仕方なし学生にあらずなワタクシ昼飯代を調節して入館しました。
2つともかなりのボリュームなので可能ならば休み時間を取ってみるのがイイかもしれません。
(早稲田松竹は半券を見せて、手続きをすると外出することができる。)
ちょっと目を使いすぎたのか頭が痛くなったのと、
衝撃的なシーンが満載なので心の情報処理能力が追い付かない・・・。
でも、この2つの作品を2本立てにしたのは非常にいいと思います。
なぜならば、共通していることは「信仰・クリスチャン」なんですけれど
観覧後の味が対極。
それぞれ単体でもかなりのメッセージ性があるとともに、それぞれを交差させて見えてくるものがありました。
信仰は
道であり、真理であり、命であるその方によって得られる力ってこと。
「沈黙」は遠藤周作さんらしい人間の暗部がありありと描き出されていました。
そして、監督が20年以上かけて制作しただけある作品。。。タイムスリップしたみたいな感覚でした。
ちゃんと九州弁だし、武士やら百姓の衣装もNHK大河ドラマ級というかそれ以上のリアルさ。
当時、ここまで英語、ラテン語を話せたのか分かりませんが、修道士たちを敬って迎えた村人はこんな感じだったのかなと思いはせました。
Solさんがイケメン!と言っていた修道士たちにも納得。
たしかに。というか、すばらしい鍛え方しているなと思った。私も筋トレしなきゃ。
セリフが多くない映画ですが、それぞれの人物に立体感があるのは、監督と脚本家が何度も脚本を書き直して15年以上かけて練り上げたからだと聞いて納得。
ロドリゴの変化とロドリゴを取り巻く人物たちの立ち回りがリアル。
それ故に、見ているだけの観客さえ、沈黙によって作品の一部になっているような気がしてくるのは
ロドリゴの苦悩に共にするからだろう。。。
史実を現代に伝えるのは何ゆえか・・・・。
見る人たちの心に信仰とは?人間とは?命とは?
と、静かに問いつつ、考えさせる作品。
さておき「沈黙-silence-」ストーリーは(ネタバレ的な話になりますご注意をば。)
日本の信徒たちはどうしてこんなに苦しい思いをしなければならないのか?と主人公ロドリゴ神父が
何度も神様に問うのですが、神様は沈黙している。
というところから、沈黙というタイトルなんです。
結論から言うと、棄教するに至った修道士たちの物語です。
一言でいうとこれだけなんですけれど、どうして棄教したのか?それが見る人によって感想意見が分かれるのかもしれません。
個人的に立ち止まって考えたくなったのは
命を懸けた信念と信仰が
宣教師(神父)と切支丹(日本信徒)とで表現(生き方)が違うというところでした。
これは立場によるのか、信仰観によるのか、その両方なのか・・・。
「沈黙-silence-」公式HPページより引用
宣教師たちは日本の信徒がむごい殺され方をしているを見て止めようとする
しかし、
切支丹は命より信仰を選ぶ。
ワタクシ日本人のくせにあまり切支丹弾圧については明るくなく、これを機に学びたいという思いが灯りました。
日本は沼地だ、キリスト教は根付かない。
そのようなセリフが何度か出てきます。
しかし、沼地にしたのは誰なのか。。。
信仰を暴力的に奪った重さをズーンと胸に受けながら、
心に残った一言「俺は悔しい、この時代に生まれたからこんな目に遭うんだ。」が深く胸に突き刺さりました。
この一言は、家族全員火あぶりの刑で殺されたキチジローのセリフです。
キチジローは「家族みたいな強さは俺にはなくて、踏み絵を踏んだけれど、俺にも信仰はあるんだ」と
ロドリゴ神父に何度も悔改めに訪れる人物です。
「俺は悔しい」の一言が深く響きます。
私どれほどいい時代を今、生きているんだろうか。
ただ真実に事実を伝えて生きてイイ時代に今、生きている。
もっと感謝感激して生きなきゃと申し訳ない。
そういう思いが湧き出ました。
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もう一本のハクソーリッジについてはまた別の記事に(するかも)。。。