~摂理に出会う前の私・ちーちゃん篇⑪~
エステサロンを退職したちーちゃん、
腰痛や様々な体調不良を回復させる期間が必要だったため、すぐに整形外科に転職せず、
いったん実家に帰り、短時間パートとしてデパートのジュエリーショップで働き始めました。
エステティシャン時代、お客さんや従業員たちに高価なジュエリーを見せてもらう機会がたくさんあったので、
宝石の名前は多少知っていたし、きれいで心が惹かれました。
昔から姉妹の中でもひときわ<美>に敏感なちーちゃんだったんです笑。
その店では、1000円代から数百万円もするジュエリーまで扱っており、
初めてみる宝石も多く、とてもきれいで見ているだけでも幸せでした(☆∀☆)。
そして店員の特典として、つけたこともない高級な指輪やネックレスを試着できるのも嬉しかったです☆
来店して、宝石を見るお客様達の顔もキラキラしていていました。
嬉しそうに「つけてみていい?」と尋ね、つけてあげると鏡を見てうっとりとして、
やがて高いものでも、気に入って購入していきます。
プレゼントとして選ぶ人たちもたくさん来ましたが、
相手が喜ぶことを想いながら、想像を膨らませて買っていました。
一つの石が人をキラキラさせ、嬉しくさせるのってすごいな~、と感じました。
しかし、小さな石に数百万円もかける心理…
わからない人も多いでしょう。
ちーちゃんもお客様に聞いてみたことがありましたが、
世界でひとつの宝石が自分のものになり、それを眺めるだけで幸せだそうです。
しかしちーちゃんは、それでもさすがに数百万円は出せないなぁと思いました。
また、高価な宝石を失くしてしまい、ショックから立ち直れない人も見ました。
だから一時は、高い宝石を買う人たちのことを勝手に心配することもありました(^_^;)
ある時はダイヤモンドの原石を見る機会がありましたが、
あまりにも違う姿でおどろきました。
岩石のような黒っぽいかたまりの中に白く濁ったかけら(ダイヤ)があるのですが、
それをごっそり削り、カットして、磨くと、原石とは見違えるようになるそうです。
石をカットすることで、光の反射の相乗効果が引き出され、最大限輝くのだと聞きました。
摂理の御言葉では、宝石の話がたくさん出てきます。
そのように、私たち人間もそうだということを教えてくださっています。
先生の御言葉で、まさにこのことを教えてくださったので紹介します。
“<ダイヤモンド>も、原石そのままだと「一つの硬い石」として扱われます。だから、「ダイヤモンド」という名称だけを持っています。
しかし、加工して作ったら「石扱い」するのではなく、「宝石」扱いをします。「石」が「宝石」に引き上げられたのと同じです。
だから原石より1000倍輝き、価値を持つようになります。
もしダイヤモンドの原石が好きで、そのまま持っていたら、一生ダイヤモンドの石だけを持って暮らすようになります。
3カラットのダイヤモンドの原石の値打ちは、一度の食事代にしかなりません。しかし加工して作ったら、2000万ウォン、3000万ウォンになります。
<人>も作らなかったときには、「加工前のダイヤモンドの原石」と同じです。自分も作ってこそ、もっと価値があり、輝くようになります。
先生も作らないでそのままでいたときは、私自身を見て失望し、望みがなく、嘆いてばかりいました。
<御子の御言葉>で作っておいたので、今は<この世>で「私自身」が私にとって最高の希望であり、喜びであり、誇りです。
そして<霊の世界>においては、「神様と聖霊様と御子」が最高の希望と愛になりました。“ (チョンミョンソク先生の御言葉より)
高級ジュエリーによる輝きではなく、自分を作った輝きで「宝石のような人生」を生きたいです!
<ダイヤモンドの原石>は「色々な面」にカットし、
加工してこそ、各面が光を放ち合って、<高価で輝く宝石>になる。
これと同じく、<主>を細かく見て、<御言葉>を細かく見てこそ、正しく悟るようになり、「色々な面」が光を放ち合って輝く<ダイヤモンドの宝石>のように「変わらない人」になる。
鄭明析牧師の明け方の御言葉より