東京で暮らしていた時、私は派遣社員としていろんな場所・会社に勤務をしていました。
ある会社で書類仕訳整理の仕事をしていたのですが
新入りさんに仕事を教えて差し上げる立場になりました。
その方は定年退職してから派遣社員として働くスタイルの方だったので
ずっと年上で親ぐらいに年が離れていました。
今までの仕事とまったく違う内容で戸惑われつつ熱心にメモしながら就業されていました。
質問も細かくて、根本的な内容までも訊かれてきました。
長年、正社員で管理職までされていた方ゆえの責任感を持った視点での考えなんだろうなと思いました。
しかし、何の権限もない私には「どうして?」という疑問には答えられず、
申し訳ないですが課長に確認をお願いしますとその都度お願いをせざる負えませんでした。
その方の実直で丁寧な質問する姿勢にすごいなと学ばせてもらうところもありましたが、
どうして、そこまで?と思うようなところは若干否めなかったため、
ある日、同じ派遣社員仲間の人が「あの人ウザくないですか?」と話しかけてきました。
これは、不穏な空気。。。。
「いちいち聞いてきて、言われたことをしているだけでいいのに・・・めんどくさくないですか?
そこまですんなよっておもいません?」
どう返答したらいい考えあぐねつつ
「慣れていないだけだから、なんじゃないでしょうかね~」と
否定に同意するような話の流れにならないように返しました。
しかし、日増しに不穏の火だねはとうとうあらわになりました。
わたしにもそれに加われというのを暗に迫ってきました。
あ~これは加わらないと私も同じ目に遭うだろうね。と勘づきました。
私が御言葉聴いていなければ、おそらく彼らの一員になったのかもしれませんが
何が悪いことなのか善い事なのか?
良心ってなんなのか。
それを聖書について
お祈りについてチョンミョンソク先生が教えて下さったので、意を決して言いました。
「仕事を一生懸命にしている人を悪く言うのはどうかと思う。」と。
そうしたら、案の定。
私も同じく馬鹿にされるようになりました。
やっぱりね~
でも、まったく心は楽でした。
腹立つことや、嫌な思いはするけれど、せいせいしました。
ある日、私がその職場の契約が切れて後にする日が来たとき
「わたしが悪く言われているのに、普通に接してくれてありがとう。」
そういわれました。
感謝されるようなことなど、何一つしていないので
え?と
おどろく私に続けて
「どうして、あなたは流されなかったの?」と尋ねられました。
人生を生きる意味が分からな過ぎて死のうかなと思ったけれど
聖書を学んで、神様の愛と真理を知るようになってから
何が良い事なのか
何が悪い事なのか
どう生きたら一番いいのかが分かったから
だから流されない。
私を生かしてくれている神様がすごいことを知っているから
だから、平気なのだ。
そう伝えました。
摂理で聖書を学ばなければ、こういう乗り越え方はできなっただろうな~
そう思う経験です。
昔だったら、きっと暗闇の中に座り込んだ感じになっただろうけれど、
真理の剣で裂くべきものを裂くことができる
そのすばらしさを痛感したのでした。