聖書の読み方を教えてもらってから
通読をし始めて、気づく事、感じる事、学ぶことがその回ごとにある。
最初はあまりにも読みづらくて大変だった旧約聖書だが、
通読5回目くらいになった時、神様の傷ついた心を感じられるようになった。
するなといったことをしたら災いだと仰った御言葉を守れずに
幾度も民族的な艱難を受けるイスラエルの民の姿を見つめる神様の痛々しい心。
人の心はあまりにも変わりやすい。
その痛みを感じた。
わたしは、自分を含めて人を信じることが難しい人だ。
なぜならば、心が変わりやすいから。
そんな人がチョンミョンソク先生をどうして信用するのか?というと、
先生は誰よりも辛い思いを今もしているはずなのに、変わらず愛で接するから。
チョンミョンソク先生のことを悪く言う人達がいるとしても、
変わらない心を持っている先生を見たから、私は先生を信じるしかない。
無念な思いをしても、
変わらない心で神様の愛と真理について
行ないながら、
命がけで伝えている奇跡のような姿を今も見ているから
変わらない愛をずっと待っていた神様の心を満たしただろう先生を
神様がどんな心で見ているのかが、少しだけわかる。