人に勧めたいモノ、ありますか?

面白い本、映画、美味しいお店、お菓子、見つけたらシェアしたくなる。

そんな思いを抱いた経験が無い人はいないはず。

最近、大阪のお母さんたちとお話した際に

摂理(キリスト教福音宣教会)を「もっと早く知りたかった。」「もっと若い頃に出会いたかった。」とおっしゃっていた。

ある程度、人生経験を経るということは、その分いいことも、よくないことも経験するわけで、もっと早く知っていたらもっとよりよく選択も判断もできたはず。だと思うと、もっと早くに知っていれば。と思うのだという。

以前、同じ教会だった壮年部(結婚したあとから信仰を持った方)がまったく同じ内容の話をされていたので既視感抱いたが、ただ一つ違う点であると同時に大阪のお母さんたちの共通点がある。

それは「自分の子供から紹介されて」信仰に至ったということ。

「信頼できる子供の紹介だったからこそ、信仰に至ったとおもう。ただの知り合いからだったら、聖書の話は聴かなかったかも」「道でばったり会った人からなんてのはまったく考えられない」というところがまた、興味深かった。

やはり宗教というものは人生、生活の根幹に触れるものだからこそ、慎重にならざる得ないものだよなぁと思うのと共に、信頼関係って大きいと痛感する。また、紹介するヒトがどんな想いで紹介するのか?も大きいなと思った。

とは言っても、どんなに自分が良いと思って紹介しても、相手に響かない場合も往々にしてある。

まぁ、そんなもんだからこそ、勧誘なんて大層な捉え方されるたびに違和感を感じるしかないのは私だけなのか?

そこに大学関係者の方々から勧誘は辞めて下さいと言われるような言動を、したことがある可能生がキリスト教福音宣教会の会員にあるのかもしれないが、実際のところ、カルト宗教として警戒されるような事象は皆無で、むしろ拍子抜けすると思う。決めつけることで名誉棄損に至ることもあるのでは?と思うことしばしば。

 

大阪のお母さんたちは、楽しく信仰生活(世の中的には宗教活動?)をされている。
その一つがボランティア活動だ。昨今は各所でその活動功績が認められているとのこと。


https://j-cgm-volunteer.net/osaka/10358

こういった事実、カルトだなんだと警戒している大学関係者の方々はちゃんとご存知なのだろうか。

ちゃんと調べず、偏った情報だけで判断してしまっているならば今の時代、コンプライアンス違反に引っかかるのでは?と懸念抱くのも私だけなんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春爛漫を過ごしつつ、「宗教ヤバイ」に思いをはせました。

大阪のお母さんたちから春の便りをいただきました~

礼拝後にお花見を楽しまれたそうです。

素敵な笑顔で、見ているこちらも温かく楽しい気持ちになります。

 

私は摂理(キリスト教福音宣教会の教会)に通う前は全然、笑わない人でした。

心が辛いのに、表面だけ笑うのはもっと心が辛くなるからでした。(が、口角だけでもあげてると脳は笑顔だという認識でいいホルモンが出るらしいですね)

大阪のお母さんたちもそうですが、私が出会った摂理(キリスト教福音宣教会)の人々は全員とはいいませんが、

心からの笑顔をしているなと感じて、どうしたらそうなれるのかな?と思ったことが通うきっかけの一つとなりました。

私を伝道してくれた(世の中的には勧誘なのかもしれないですね笑。伝道と勧誘の違いは、宗教的観点と人間社会的観点の差異だなぁと感じます)韓国人のメンバー(キリスト教福音宣教会の会員)も、いつも笑顔で不思議でした。

留学費用も自分で日本でも働きながら、学校に通っていたので大変じゃないなんてことはなかったはずです。
それでも、彼女はいつも楽しく過ごしているので「どうして?」と尋ねたことがありました。

彼女は「私が尊敬している牧師さんが『笑顔は作品だ』と言っていて、その方自身も素敵な笑顔で、私はそういう人になりたくて教会に通っている。」と話していました。

そこには無理やりさもなく、初めて出会う芯の強さを感じました。

日本だと、教会に通っているということが大変めずらしく、どちらかというと異質というか、良いか悪いかというとちょっと避けたくなるカテゴリになっていると思います。

実際、わたしも通っていると伝えると頭ごなしに否定されることがありました。(しかし、大概は「あなたがそれで幸せならばいいんじゃない?私は関係ないけれど」という方が9割です。家族含め)

日本において、宗教団体が起こした事件、諸問題により「宗教=ヤバい」というイメージになるのは致し方ないと思いますが、噂に尾ひれといいますか実像とかけ離れた「カルト」扱いされてしまうのは甚だ不本意。

というわけで、このサイトを細々~と続けているわけです。